憎しみという感情は、よっぽどのことがないと感じない感情かもしれません。恋愛で、職場で、あるいはそのほか様々な人間関係の中で、心の底から憎いと感じるレベルになることも、ときとしてあることかもしれません。
誰かのことを心の底から憎いと思うとき、特にその感情が未消化のまま、心の中でくすぶり続けているような場合、どこかのタイミングでその部分が刺激されるようなことがあったときに、怒りが爆発しそうになることもあるかもしれません。
憎しみを感じるまでにいたった経緯や、そのときに起こった出来事。思い出すだけでも、はらわたが煮え繰り返るかのような気分になることもあるかもしれませんし、その誰かのことを、絶対に許せない、と感じることもあるかもしれません。
憎しみが心にあふれてあまりにも辛い時は、心の中に溜まっているその感情を一旦吐き出してあげること。やり方はいろいろあるかもしれませんが、憎しみとセットで抱えている、恨み、怒り、様々な感情をいったん心の中から吐き出すということが大切かもしれません。(ただ、これは、ネガティブな感情を敏感に感じてやすくて、そこから抜け出せなくなりやすい人にあったやり方というよりも、感情を封印して溜め込んでしまうようなタイプの人に有効なやり方かもしれません。)
私自身の体験としては、誰かに話を聞いてもらって、そこで気持ちを整理することができたり、あるいは、ノートに自分の感情と体験したことを書くことで、感情を吐き出す、ということをしたことがあります。それで、客観的に自分自身のことを見つめることもできました。
心の中の感情は、心の中で押さえつけたり封印したりするのではなく、話す、文章にする、など、何らかの形にして外に出してあげることで、整理してあげることができます。これで憎しみが完全に消える訳ではないのですが、自分の気持ちの持ちようとして、どうしたいのか、というのをある意味では冷静に見れるようになります。
あるいは、ちょっと無茶をしたと今では思いますが、本人の前で全てぶちまけたこともあります。それでスッキリした、という訳ではないですし、最終的には和解もできたのですが、これは、わりとリスクのあるやり方かもしれません。個人的にはあまりおすすめしたいやり方ではないのですが、状況によっては、方法の一つ、といえるものかもしれません。
出さないまま体の中に溜め込んでいるネガティブな感情は吐き出すことで、ある程度心の中をすっきりさせることができます。ただ、怒りや恨みを内に溜め込んでしまうタイプの方で、この吐き出すというのが苦手という方もおられるかもしれません。ノートに自分の感情と体験したことを書いて、そのノートを捨てる、というやり方であれば、吐き出したとしても誰かに知られる訳ではないですし、自分の中だけで処理できるものなので、そういったタイプの方は、文章にして書く、という吐き出し方はわりとおすすめです。
感情は一つ感じると、その下に眠っている別の感情が出てくる、といったプロセスをたどることが多いです。表面上に出てきていた怒りも、その下にある悲しみであったり、絶望感のようなものであったり、自分には何もできないといった無力感のようなものであったり、大昔に感じた罪悪感のようなものが出てくることもあります。
その一つ一つに意味があり、自分自身のマインドを構成しているものです。出てきた感情は否定せずに、まずは、自分の内側にそんな感情があったのだなあ、ということをただ受け入れてあげてみてください。
ネガティブな感情を出すことができたら終わり、ではなく、自分がどうしたいのか、というのを整理してみてください。心の底から憎い人がいるとして、自分はどうしたいのか、とか、本当はどうしたらいいと思っているのか、といった答えのようなものは自分の心の内側にあると思います。感情を吐き出して、自分の心の中ににどんな感情が眠っていたのかを一旦出せたのなら、その答えの部分を見つめてみてください。
本当はこうした方がいいと思っているけど、できない、とか、やりたくない、といった、次の一歩をためらうような気持ちがでてくることもあるかもしれませんね。ただ、それが誰から言われたものでもなく、自分の内側からでてきたものだったとしたら、やるやらないの選択肢は自分だけが握っているものです。その段階で、誰かに相談したり、カウンセリングを使ってもらう、という選択肢もあるかもしれませんね。そこで背中を押してもらえたり、ちょっとした役立つアドバイスをもらえることもあると思います。
私自身の体験としては、憎しみとか敵意といった、誰かを心の中で責めるような思考というのは、ただ自分自身の首をしめるだけのものかもしれない、なんてことを思っています。いくら相手が間違っていたとしても、ネガティブな感情を使って相手のことを心の中で裁く、といったことを延々といくら繰り返しても、他人というのは基本的にコントロールできるものでもないです。ただ、理屈はそうだとしても、心の中でいつまでもおさまらない怒りもあると思っています。心の底から憎い人がいる、というのは、ある意味では自分の心の内側に深く入って自分を見つめることが求められている、ということが言えるときなのかもしれませんね。
ここに書いたことで、何かしらお役に立つところがあるのなら、幸いです。