
雑に扱われた時、自分の価値の低さを感じてるならセルフイメージをあげること。パートナーへの依存があるなら依存を少し手放すことも大切です。対処法を、恋愛関係と友人関係の2パターンにわけて書きました。自分の心理を深掘りしたときにチェックしておいた方が良いポイントと、その部分をケアする方法についても深掘りして書いています。
【目次】
・はじめに 〜 私大切にされてないかも?と思えた時
・恋愛の中でパートナーから雑に扱われていると感じたら
・友人から雑に扱われていると感じたら
・自分を価値のない存在として扱っていないか
・まとめと補足
以下に動画もアップしております。文字を読むよりも動画で、という方はこちらをどうぞ。
はじめに 〜 私大切にされてないかも?と思えた時
恋人や友人からあんまり大切に扱われていないように感じることはあるでしょうか?
雑に扱われていると感じたら、心に痛みのようなものを感じたり、相手との間に壁のようなものを感じることもあるかもしれません。もっと大切に扱ってほしいと思っていても、なかなかそういう扱いにならないとしたら、寂しさのようなものを感じることもあるかもしれませんね。
雑な扱いの一例として、個性的な特徴を持っている人に対して、バカにするような感じで何か言ってくる、というケースがあります。言った側はひょっとしたらその人なりの面白いポイントがあるのかもしれませんが、言われた側からするとただの失礼以外の何者でもない一言。こういった形で雑に扱われていると感じたら、その言動はスルーするのが良いかもしれません。スルーのやり方については、ネガティブで嫌なことを言う人、に掘り下げて書いていますので、もしよければ参考にしてください。
雑な扱いには、他にもいろんなパターンはあるかと思いますが、まずは恋愛と友人関係とに分けて対処法を記述しました。
恋愛の中でパートナーから雑に扱われていると感じたら

恋愛の最初の頃はすごくロマンスを感じていたのに、それが少し落ち着いてくると、おもに男性側が女性に対して安心してしまって、あまりまめに構わないような感じになることがあります。女性側の視点からすると、雑な扱いをされている、と思えるような状態かもしれません。
特にパートナーがすごくモテるタイプで、かつ、気分で態度がころころと変わるような男性だった場合、パートナーがこちらに近づいてきてくれたときにはすごく幸せで、相手のことをどんどん好きになっていったのに、完全に大好きになった途端に、その彼からぞんざいな扱いをされてしまう、というパターンは多いかもしれません。
恋愛の中で雑に扱われていると感じたら、その対処法としては、一言で言うと、パートナーに対して抱いている依存心を手放していくこと。恋愛心理を語るのであれば、パートナーに精神的な依存があるときは、パートナーが自分の相手をしてくれないほどに、相手を求める気持ちが強くなり、そうなればなるほど、パートナーがどんどん相手をしなくなる、というパターンに陥りやすくなります。精神的な依存が強くてパートナーに執着している状態になると、パートナーと接するときの雰囲気が重たいものとなり、そこでは自分本来の魅力が大幅に損なわれます。その結果、パートナーからあなたを見た時に、全然魅力的に見えなくなります。強い依存と執着があると、パートナーから魅力的に思われなくなるということから、そのパートナーから、ぞんざいな扱い、をする行動パターンが強く引き出されてしまいます。
一人の時間や、友達と一緒にいる時間も大切に楽しむということ。パートナーにばかり向いていた意識を他のことにも向けてみて、今を楽しむために、あるいは、今をより充実させていくために、やりたいことや、やってみたいことって何だろう、って考えてみたら、どんなものが出てくるでしょうか?
何か楽しみがあったり充実感があるということはセルフイメージを上げる、ということにもつながります。今が楽しかったり、今この瞬間が好きだと感じるという体験は、その瞬間を生きている自分自身のことを肯定的に感じやすいです。それは、自分自身を好きでいる、ということに繋がっていき、自己肯定感を高めることにつながります。そのプロセスを通して、パートナーに依存や執着があって自分本来の魅力が損なわれていた状態から、自己肯定感を高めて自分本来の魅力が引き出される流れに変えていくこと。
ただ、パートナーへの執着があると、一人の時間にどうしても寂しさや悲しみが強く出てしまいますので、そこを手放していく、というのが鍵になってきます。恋愛の中でパートナーから雑に扱われていると感じたら、その対処法としては、パートナーに対して依存や執着があるのなら、その部分を手放していくこと。心理エクササイズのやり方を、以下に書いていますので参考にしていただければと思います。
依存を手放していくプロセスの中で、パートナーから雑に扱われていると感じたときのことについて、どうして雑な扱いだと感じたのか、といったことや、もしかしたら自分が勝手にそう思っているだけなのか一度振り返ってみる、など、自分の中で一度出来事を整理してみても良いかもしれません。
自分だけの問題ではなく、パートナーにも知っておいてもらいところがあるのなら、その部分についてパートナーとコミュニケーションすること。言わないと伝わらないことはありますし、パートナーの心理や事情もあって話を聞いてみないとわからないこともあります。自分を大事にすることも大切で、不快なことをされたら相手に指摘するということもまた大切です。コミュニケーションで少し意識しておいたほうが良いのは、パートナーを理解する、ということ。パートナーへの理解を深めていくことで、自分がこのパートナーとどう向き合って行くのがいいのか、という理解もまた深まっていきます。
ただ、パートナーとのコミュニケーションを重ねていく中で、もしかしたら、このパートナーは全然自分のことを大切にしてくれない人なんだな、ということに気づいて気持ちが冷める、というパターンは残念ながらあるかもしれません。
雑に扱われていると感じたら、その状態がずっと続いているのかどうか。もし、ずっとそんな扱いをしてくる相手なら、そんな人と一緒にいても心が傷つくだけです。パートナーシップにおいては、両者それぞれに価値を認め合っていて、お互いに対等な関係性、というのが自然なあり方です。あなたの価値もわからないようなそんな程度の相手はこっちから願い下げ、という考え方もありです。
そもそも、あなたのことを大切にしない人に、あなたと一緒の時間を過ごす資格は本当にあるのでしょうか?
雑に扱われていると感じたら、その状態がずっと続いているのならそのパートナーから、一度距離を置く、ということも選択の一つかもしれません。
友人から雑に扱われていると感じたら

「あれ?私何かしたっけ?」
そんな風に何か思い当たることがあるなら、修正できるところはしておいた方が良いです。ただ、自分が問題のあることをしたからそうなっているわけではなくて、何というか、この相手はいつもそういう雑な扱いをしてくるな、と思える状況であれば、自分の中にどんな問題行動があるか、ということを探るのは、ちょっと的外れかもしれません。
雑に扱われていると感じたら、もしかしたら、自己主張があまりないと思われていて、その接し方で良いと思われているのかもしれません。あるいは、あなたが怒らない人だと思われているのかもしれません。やめてもらいたいことがあるのなら自己主張してそれを伝えたり、怒りを感じていることがあるのならそれを伝えるということが、ときとして大切なこともあります。
その接し方で良いと思われているという例の一つとして、関西出身の人が、愛情表現の一つとしていじってくるというパターンがあったりしますが、やられた側からするとただの迷惑だと感じるというケースもあるかもしれません。やる側は面白いと思っていても、やられた側は何も面白くないのであれば、どこか噛み合っていないです。これは一つの例でしたが、仲の良い友人関係の中で、雑に扱われていると感じたら、その友人にちょっと踏み込んで、ざっくばらんに本音の話をした方が良いです。
ただ、そういった話が通じない場合もあります。本音の話をしようとしてもはぐらかされたり、あなたからすると理不尽としか思われないようなことを相手から言ってこられたりして、本音のコミュニケーションができるというよりも、こじれるような感じになることもあるかもしれません。ただ、それはその友人があなたのことを単純に舐めていたり、友人のあなたに対して低い評価をしているという現実が浮き彫りになった、ということなのだとしたら、ちょっとその相手との関係性を見つめ直してみた方がよいかもしれません。
友人関係というのは対等な関係が基本。そこに上下があって、相手が上であなたが下で、あなたが雑に扱われていると感じたら、それはちょっと不自然な友人関係です。あなたを大切に扱わない人と一緒にいて、ぞんざいな扱いをされるのが当たり前になってしまうと、自己肯定感は下がります。その場合、その相手とは一度距離を置いた方がよいかもしれません。
人間関係の中での心理を語るのであれば、自分のことを価値が低いと自分自身が思っていると、こういった残念な人間関係を引き寄せてしまいやすくなります。自己肯定感が低い→雑な扱いをする人を周りに引き寄せる→自己肯定感が下がる、の繰り返しはあまりおすすめできないです。まずは、ストレスになるような雑な扱いをしてくる人に自分から近づいていかないということと、そういう残念な人に近づいて来られても一定の距離を保つ、といったことを今までしていないのであればやった方がいいです。
自分の価値を低く扱っていると、優しくしている相手から下に見られたり、利用されたりすることがあります。優しくしてもお人良しにはならないということと、自分自身の価値を自分が認めてあげるということが大切なのですが、友人関係で相手に優しくしたらそういった反応が返ってくるということも、ときとしてあるものかもしれません。そんなときのことを掘り下げて書いた記事がありますので、もし何かしら気になりどころがあれば、参考にしてもらえればと思います。
自分を価値のない存在として扱っていないか

人から雑に扱われていると感じたら、チェックしておいた方がいいのが、自分には何の価値もない、と感じている感覚が自分の内側にないか、という部分です。
人の心理を語るのであれば、自分が無価値だと感じていると、たとえ自分に価値を見てくれる人がいたとしても素直に受け取ることができず、たとえ自分自身に価値を見れるような部分があっても、それを認めることができなくなります。自分に自信がないので、何か犠牲的な行為をすることで無価値な自分を補いたくなったり、無理をしてでも自分の価値を証明したくなったりします。職場が多少ブラックであってもそれを無理に耐え抜こうとして潰れてしまうという方もおられるかもしれません。やりたくないことでも自己犠牲的に頑張る傾向があるので、そこではいつも満たされない感じを抱えやすくなります。これらのパターンにはまり込んでいる場合、この無価値であるという感覚を手放すということと、自分の価値を受け取る、ということが大切になってきます。
自分のことをあまり価値のない人間だと感じていると、周囲からもそういう扱われ方をします。自分の周りに壁を作っていると、周囲から距離をとられます。心の内側で起こっていることが、外側に映し出されます。その反対に、外側に映し出されていることは、心の内側で同じように起っています。
雑に扱われていると感じたら、その相手はその人なりの理由でそうしているのかもしれませんが、そこは他人の心の中の話なので、自分が完全にコントロールできる部分ではないです。ただ、自分には何の価値もない、といった、自分自身のことを雑に扱っているような部分があるのなら、それは自分自身がやっていることなので、手の入れようがあります。
自分のことを大切に扱ってくれたり、価値のあるように扱ってくれる人はいるでしょうか?
自分のことを価値のない人間だと感じていると、そういった人たちの言葉や態度は心に入ってこないです。何か勘違いしている、とか、わかっていない、とか思うかもしれませんし、あなたたちにそんな風に思われても嬉しくない、と思うこともあるかもしれません。居心地が悪い、という感覚を持たれることもあるかもしれませんね。こういうとき、あえて相手に嫌われるような行動をとりたくなったり、壁を作って相手との間に親密感が生まれないようにブロックしたくなることもあります。
自分には価値がないと思っていると、無意識のうちにそれを現実化したくなります。自分のことを価値がないように扱う人が現れても、そこに違和感を感じず、いつものこととして受け取りやすくなりますし、たとえ、自分のことを大切に扱ってくれる人がいても、その気持ちを受け取りにくくなります。

自分に価値がないと判断している自分の思考を手放すこと。
自分の価値のなさを感じているとき、自分は××だから価値がない、といった判断基準のようなものが心の中にできています。
これらを手放せるでしょうか?
判断基準は絶対的なものではなく、何をもって価値があるか、何をもって価値がないか、というのは、人それぞれが決めることのできるものです。これは普通とか、これは当たり前、といった思い込みのようなものや、××さんが言っているからこれはこういうものなのだ、といった他人の判断基準は重要ではないです。あくまでその判断基準は自分が決めているものです。自分のことを価値のない人間のように感じていることで問題が起こっている場合、今その判断基準が自分自身にとってあまり役に立たないものになっている、ということに気付くことが求められてきます。
もし、その判断基準を手放すとしたら、代わりに何を受け取りたいでしょうか?
自分自身に価値を見る、ということを意識してみてください。自分のなかに価値を見ることができる基準があるとしたら、どんなものがあるでしょうか?
今までの判断基準ではぞんざいな扱いをしていたような部分でも、別の視点から見てみた時に、価値を感じることができるような部分というのは、人の中にはたくさん眠っています。
自分自身にこう問いかけてみて、直感で答えてみてください。
今まで自分に認めてこなかった価値って、なんだろうか?
直感で思いついたことをヒントにしてみてください。例えば、美しさ、というのが直感で思いついたとして、自分では自分に美しさを感じれなかったとします。その場合は、自分の中にある美しさってどんなものがあるだろうか?って自分に問いかけてみてください。
100点満点ではなかったとしても、こういうところは、まあ、まだましかな、と思えるような部分でも良いです。今まで自分では認めてこれなかっただけに抵抗感もあるかもれませんが、自分自身が感じることのできる自分の価値というのは、とても大切な部分です。できるだけ掘り出していってみてください。誰かから言われて嬉しかったことや、今までは受け取れなかったけれども、こんな風に見てもらえたこともある、といったような経験があれば、思い出してみて参考にしてみる、というのも良いと思います。

雑に扱われていると感じたら、ちょっと自分の心の中をチェックしてみて、もし、自分の価値の低さを感じているのであれば、セルフイメージをあげる、ということが大切です。自分が楽しいと思えることや好きなことをする、ということはセルフイメージをあげることに繋がります。自分自身に価値を感じるということは、自分自身を好きである、ということ。好きなことをしていたり、何か楽しみを感じていて充実感がある方が、自己肯定感をあげやすいです。今を楽しむために自分のやりたいことって何だろう、って考えてみたら、どんなものが出てくるでしょうか?
ただ、セルフイメージを上げたほうがいいとしても、なかなか難しいと感じられる方もおられるのではないかと思っています。そこに難しさを感じられる場合は、自己肯定感が低いところから、いきなり高いところに持って行くというより、徐々にステップを踏んでいく方がスムーズかもしれません。自己肯定感が低くて辛いときのことを掘り下げた記事がありますので、こちらを参考にしてもらえればと思います。まずは自己肯定感が低い自分を理解することからスタート、といった自己理解から進めていく流れを書いています。
まとめと補足

雑に扱われていると感じたときの対処法と人の心理について掘り下げて書きました。
恋愛の場合と友人関係の場合とでよくあるパターンに少し違いがありますので、そこは分けて書きましたが、雑に扱われていると感じたら、そのときに感じている自分の感情に着目したときに、自分のことを無価値であるかのように自分自身が扱っていないか、というあたりは少しチェックしておいた方が良いポイントです。自分には何の価値もない、と感じている感覚が自分の内側にある場合に大切なのは、役に立たなくなった過去の判断基準を手放して、自分自身の価値を見ることのできる視点を受け取る、ということと、セルフイメージをあげるということ。雑に扱われていると感じたら、そこで自分自身に価値を感じられなくなった時に参考にしていただければ幸いです。
雑に扱われていると感じたら「自分に何かまずいことはなかったのか」というあたりが気になる方もおられるのではないかと思います。人から責められているような感じがしたり、一人反省会をして自分で自分を責めてしまったり、といった、罪悪感のようなものを感じる、というパターンもあると思っています。
自分が無価値である感覚、の話を今回の記事ではメインに書きましたが、人の心理の話をもう一つすると、自分が無価値である感覚というのは、心の中に罪悪感があるために自分の価値を認めることができない、といった一面があり、無価値である感覚が強い方というのは、罪悪感も感じやすいといったところがあります。
以下の記事の中に、人から言われたことで罪悪感を感じた時の話と、その場合のセルフケアの方法を掘り下げて書いています。自分の内面をもう一歩掘り下げて見てみたいというときに、役立てていただければ幸いです。