昔体験した辛いことや傷ついたことについて、自分の中でその部分をあえて大切にしている、といったようなことはあるでしょうか?
何を言っているのかというと、、、、例えば、ベテラン社員が新人に過去の自分の仕事上での苦労話を、わりと誇らしげに語っているところを想像してみてください。そのエピソードは、ある意味では「乗り越えてきたこと」であり、人から「偉いね」って認めてもらいたいような部分かもしれません。新人が「よしよし偉かったねー」って返してたら微妙な空気になるかもしれませんが、それはさておき、、、、。
人には語らないまでも(語ってても良いのですが)、自分の中で大事にしている過去の傷跡、というので思い当たるようなものはあるでしょうか?
昔傷ついた時に、自分は間違っていない、とか、相手や周りが間違っている、と思ったとしたら、心の中で自分なりの正しさのようなものが作られて、それが自分なりの価値観の一部となっていくことがあります。その場合、その価値観を大切にするのと同じように、その傷跡も大切にしていくことで、過去の傷跡を引きずるようになってしまうこともあります。
それがあるがために、何か頑ななものの見方を形作ってしまうことになったり、誰かに対する批判や、誰かとの対立を生み出したり、犠牲的な感じで物事を進めてしまったり、という感じになることもあるかもしれません。
過去の傷を生み出したその体験が教えてくれるのは、誰が正しいのか、ということではなく、自分にそこを乗り越える力がある、ということです。
傷ついているところには、罪悪感があったり、無力感があったりしますが、さらにその下に、才能だったり、とても純粋な想いのようなものがあります。例えばそれは、痛みや辛さを乗り越えていく力だったり、愛であったり、優しさであったり、誰かを助けたい、という想いであったり、とても強い情熱が眠っているケースもあるかもしれません。
過去の傷を勲章のように扱って、その部分への執着が強くなっていくと、傷ついたときに自分を守るために生まれた正しさの部分や、罪悪感や無力感に縛られてしまいやすくなります。そこに意識を強く向けるがために、心の中のエネルギーが注がれた度合いだけ、自分が本来持っている才能の部分はブロックされて出てきにくくなります。
過去に傷ついたことで、今でもその傷跡を大切にしているような部分があったとしたら、それを手放すのには抵抗があるかもしれません。その傷跡はまるで自分の一部のようになっていて、それを手放すと自分が自分でなくなってしまう感覚を持つ方もおられるかもしれません。
ただ、それは誤解です。傷跡を手放したときに、自分が自分でなくなってしまうのではなく、傷跡の下側にある、才能や愛や情熱や優しさの部分を、今よりももっと楽に与えていける自分自身を受け取ることができるだけです。過去の傷跡への執着を手放したとしても、過去に傷ついた、ということの重みが軽くなるだけで、いつでも思い出すことはできる学びのある記憶として、心の中には残り続けます。
もし、過去の傷跡を大切にしてしまっている部分があって手放した方がよいかもしれない、なんて少しでも思えるのだとしたら、ぜひ、手放すことにトライしてみてください。過去の傷跡への執着を手放すことで受け取ることができる、心が軽くなったり、楽さを感じる、といったことをぜひ体験してみてもらえれば、なんて思っています。