相手に合わせるということが辛くなってきたとき

投稿日:2023年12月8日      更新日:

相手に合わせるということが辛くなってきたときは、まずは、あなたがあなた自身の味方でいること。必ずしも合わせなくてもOKなんだ、という許可を自分自身に与えてあげて、自分がどうしたいのか、という部分を大切にすること。

【目次】
はじめに
あなたがあなた自身の味方でいること
私どうしたいだろう?、という問い
最後に

 

 

はじめに

人間関係の中で、相手に合わせる、ということが求められてくるような状況が来たとき、相手に合わせる、ということをやりすぎてしまうと、自分はどうしたいのか、という部分が薄れてくることがあります。この状態が続くと、自分自身が何を思っているのかわからなくなってくることもあるかもしれません。自分軸、という言葉がありますが、相手に合わせるだけではなく、自分なりの軸を持っておくということも大切なことかもしれませんね。

相手に話を合わせた方が早い、という部分があったり、不必要に相手に付き合いすぎるのも疲れる、というところで、ある程度バランスのようなものがあって、疲れることなく適度に相手に合わせる、という感じであればストレスも強くないと思います。

ただ、相手に合わせすぎてしまう、という方の場合、以下のような感じになりやすいかもしれません(あくまで例ですが)。
・嫌われたくないために、自分の意見を通すことができなくなる
・自分はどうしたいのか、というのがわからない
・相手をことを考えすぎて、自分の意見を人に伝えることが怖くなる
・人に必要以上に気を遣い過ぎて、人と一緒にいると疲れる
・相手を優先しすぎて、自分を押し殺してしまう

相手に合わせるだけではなく、自分なりの軸を持っておくということ。ただ、ある意味では、相手に合わせないという部分に、罪悪感のようなものを感じる方もおられるかもしれません。罪悪感の例をいくつかあげると、相手に迷惑をかけるかもしれない、とか、自分の都合を押し付けている感じがする、とか、ちょっとわがままかもしれない、などです。罪悪感を感じてしまって「自分がどうしたいのか」ということの優先度が下がってしまう、ということは、ありがちなことかもしれません。

 

 

あなたがあなた自身の味方でいること

あなただけは、いつでも、あなた自身の味方でいること。相手に合わせるという行為に、もしかしたら、少し自己犠牲的な部分があるかもしれません。無理はしていないでしょうか?

自分自身を雑に扱わないこと。相手のことを大切に扱いつつも、自分自身のことを大切に扱っていないのなら、どこかバランスが悪いです。人はみな特別な存在で、無価値な人など一人もいないと、そんなことを私は考えていたりしますが、もし、自分自身を雑に扱っているのなら、どこか自分自身の価値を低くみているところがあるかもしれません。

相手に合わせるということが辛くなってきたときは、一旦、相手のことを考えすぎている部分を手放して、自分を大切にする、ということ。自分の本当の気持ち、だったり、自分がどうしたいのか、を中心にして周りのことをみてみること。

もし、自分がどうしたいのか、というのがわからないなら、あなたがあなた自身を喜ばせてあげるためにできることは何かを自分に問いかけてみること。
「私どうしたいだろう?」
心の中でその問いに直感で答えてみると、自分の本当の気持ちに少し触れることができます。

 

 

私どうしたいだろう?、という問い

合わせなくていいことは合わせない、必ずしも合わせなくてもOKなんだ、という許可を自分自身に与えてあげること。相手に合わせることを優先しすぎると、心苦しくなってきます。合わせなくてもOKという許可を自分に与えてあげて、自由を感じられる心の余地を広げてみてください。

相手に合わせようとするのにも、あなたなりの理由があると思います。相手を喜ばせたいから、相手を悲しませたくないから、相手に嫌われたくないから、など。それらもまた自分の気持ち。罪悪感を感じたくない、というのもあるかもしれません。批判されたくない、というのもあるかもしれません。それもまた、自分の気持ち。

自分の気持ちにも色々あると思いますが、結局のところ、
「私どうしたいだろう?」
心のなかでその問いに直感で答えるなら、どんな答えが返ってくるでしょうか?自分の本当の気持ちに触れてみてください。

現実的には、相手にある程度合わせたほうがよい状況は、あり得るかもしれません。合わせすぎないと余計に辛くなるし、合わせすぎるのも辛い、という悩ましさがあるような状況です。自分にとってちょうどいいバランスを感覚的に身に着けていくという選択肢もあるかもしれません。ただ、その場合も大切にしたほうがいいのは、自分がどうしたいのか、ということや、自分は何が嫌なのか、という自分の気持ちの部分です。あなただけは、いつでも、あなた自身の味方でいること。

相手に合わせるということと、相手に歩み寄るということは違います。歩み寄るというのは、お互いを大切にするということであり、相手だけではなく、自分自身も大切にするということ。自分はどうしたいのか、という部分がないと、歩み寄るではなく、ただただ相手に合わせるだけになります。それは自己犠牲的で、自分が感じるストレスを強くします。

 

 

最後に

相手に合わせるということが辛くなってきたとき、まずは、あなたがあなた自身の味方でいること。相手を優先しすぎて自己犠牲的になると、ストレスが強くなりますので、必ずしも合わせなくてOKなんだ、という許可を自分自身に与えてあげること。相手に合わせることを優先しすぎると、自分がどうしたいのか、という部分がなおざりになったりしますので、「私どうしたいだろう?」という問いに直感で答えて、自分の本当の気持ちの部分を中心軸において、周りをみてみること。

ただ、人間関係によっては、犠牲することを相手から求められるようなケースもあるかもしれません。相手から求められる犠牲を断れない心理の背景には罪悪感があり、至らない自分のダメなところを補うために、過剰に自己犠牲的な行為をしてしまう、という心理の罠にはまることがあります。そのあたりを掘り下げた記事がありますので、参考にしてもらえればと思います。

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カテゴリ-人間関係
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