いまある幸せに目を向けられなくて、どうしても不満ばかりを感じてしまい、小さな幸せで満足できない、という感じになることはあるでしょうか?
自分が手に入れたものや、客観的にみたら良いと思えるようなものも、どこか当たり前になってしまって、何か粗探しをしたり、足りないものばかりに目がいってしまい、その結果、人がうらやましくなったり、どこか無いものねだりをしてしまうのだとしたら、他の人からみたら「何を贅沢な」と思われるような状態であっても、何をしても満たされない、という感じになるかもしれません。
例えば、前々から欲しかった生活を100%ではないにしても手に入れたとして、それで満足なはずなのに、いざ手に入るとそれがあるのが当たり前になってしまい、もっと上を望んでしまう、という方もおられるかもしれません。
そんな自分自身のことを、ネガティブに感じたりする方もおられるかもしれませんね。もっと、小さな幸せで満足するべきだ、なんて言葉で、自分のことを責めたくなることもあるかもしれません。
もし人と比較して不満がでてきているところがあるのなら、それをやめる、ということも大切かもしれません。上を見ればキリがないですし、誰かと比較してそれよりも下だからダメで、それよりも上だからOKという感じで、自分の幸せ度合いをジャッジしていると、実際に上にいけたとても、またそれよりもさらに上をみて不満を感じる、というサイクルに陥るかもしれません。誰かとの比較でどうこうというより、一旦比較することを手放して、自分にとって居心地のよい状態というのがどういう感じのものか、ということを意識した方がよいかもしれません。今自分が受け取っているものに感謝する、ということも大切かもしれませんね。
小さな幸せに満足できない、ということは、その小さな幸せがどこか当たり前になっちゃっているのかもしれません。普段の生活にあまり変化が無い場合、何かをするとしても、いつも通りのやり方を、いつも通りの環境の中でやることになるので、何が起こるか予想がつきやすいのですが、ある意味退屈だったり、当たり前すぎてその状態の良さを感じにくい、という一面があります。自分が受け身な立場で、何かやってもらうのが当たり前、という感じになると、受け取れているものがどれだけ良いものでも、自分が何かをして受け取っているわけではないので、ありがたみがあんまり無い感じになります。この、当たり前とか、いつも通り、という要素があると、それがどれだけ良いものであっても、まるで空気のような、特に何も思わない、という感じになります。それ以外のダメな要素をみて、そこに不満を感じる、という方に目が向いていくと、小さな幸せでは全然満足できない、という感じになります。
当たり前とか、いつも通り、というところから一歩踏み出すこと。不満がある場合には、自分が何かやるというより、他人や環境を変えたくなる気持ちがでてきますが、周りに何かしてもらって満足感を得ようとするというよりも、自分が主体的に動くこと。一歩踏み出すときには怖れの感情を感じやすいかもしれません。何かめんどくさい感じもするかもしれません。やったことがないことをするときには、リスクのようなものを感じることもあるかもしれませんが、怖れたまま何もしないでいると、いつも通り、当たり前、のなかに自分の身を置きつづけることになるので、満足感を受け取りにくくなります。
本当はやってみたいけれども、自分にはふさわしくない、とか、自分には無理、と決めつけているために、避けているようなことはあるでしょうか?
怖れがあったり、無価値観のようなものを感じて、あえてやらないようにしていることはあるでしょうか?
もしそういったものがあるのなら、そこに一歩踏み出すのもよいかもしれません。
いつもと同じことの繰り返しから抜け出す、ということについて、掘り下げた記事があります。変わり映えのしない日々を送っていて、小さな幸せのようなものがあったとしても、それがどこか当たり前になっているとしたら、心の中にある怖れの部分に触れていくということ。怖れの感情は、興奮やワクワク感を感じる感情と似ており、そこに触れていくことで、変化を呼び寄せていくことができます。そのあたりのことを書いていますので、一度覗いてみてくださいませ。
小さな幸せで満足できない、というのは、あなたにとって何か変化が求められているときかもしれません。感謝できることや、良いことというのが周囲にあったとしても、どこか変わり映えのしない日々を送っていて、当たり前のような感じになっているとしたら、その当たり前から一歩踏み出して、怖れを感じるようなことの中に入っていく、という部分を取り入れてみてくださいませ。