体が言うことを聞かないとき、心身から出てきているサインに耳を傾けてみること。気合で乗り切ることが難しい状況のときほど、無理にアクセルを踏むよりも心のなかで無意識のうちに踏んでいるブレーキに気づいてあげることが、求められているかもしれません。
【目次】
・自分が進みたい方向と、自分の体に起こることがかみ合わない
・体が言うことを聞かないときの心理
・心の内側にあるブレーキ
・ブレーキを手放す
自分が進みたい方向と、自分の体に起こることがかみ合わない
がんばりたいのに、体調を崩してしまう、とか、痩せたいのに、ついつい食べ過ぎて体重が増えてしまう、とか、集中したいのに、眠くなる、とか、自分が進みたい方向と、自分の体に起こることがかみ合わないことがあります。体がいうことを利かない、という状態ですが、ある意味では、自分の体が自分の意志通りにならないことの比喩として、「体が言うことを聞いてくれない」という表現もできるかもしれません。
気合で乗り切れるときはよいのですが、どうしても自分の進みたい方向にいくことができないときもあると思います。これは、自分の中でアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態かもしれません。自分ではアクセルを踏んでいるつもりでも、ブレーキの影響で心の中に葛藤のようなものが生まれ、アクセルとブレーキで力が相殺されて、全く前に進むことができず疲れきってしまう、ということになりがちです。
体が言うことを聞かないときの心理
そのブレーキは無意識でも働きます。自分は意識的にブレーキを踏んでいるつもりがなくても、自動的にブレーキがかかります。多くの場合、そのブレーキは感情だったり感覚的なものとして表面に出てきます。ブレーキが作動すると、ガクッとやる気がなくなったり、体調を崩したり、ということになるので、無意識でも働いているブレーキの存在に気付かないと、そこに自分が振り回される感じになります。こういうときは、自分の中でブレーキを踏んでいる理由に気付くことが大切です。
気合で乗り切ろうとするときは、ある意味では「やりたくない」という怠惰な感じの部分は、意識的に見ないようにするかもしれません。ただ、ブレーキを踏んでいる理由に気付こうとする場合は、あえてそこを見ていく必要があります。
例えば、こんな質問を自分自身に問いかけてみることで、そこを探っていくことができます。
・もし、自分の中に進みたい方向に進まないことで得られるメリットがあるとしたら、何だろう?
・もし、進みたい方向に進んだ時に、何かデメリットや困ることがあるとしたら、何だろう?
このメリット・デメリットのどちらでもいいのですが、そこに自分の心の中にあるブレーキが見えてくることがあります。
心の内側にあるブレーキ
普段あんまり意識することのないようなものがその中に隠れていることもあります。怖れ、怠惰さ、未熟さ、弱さ、罪悪感、恥ずかしさ、といったあまり見たくないような部分がそこに出てくるかもしれません。ただ、自分の中でブレーキを踏んでいる理由に気付くことができるとブレーキを手放すことができるようになります。
無意識でも動くブレーキですが、その動力源は自分の思考です。ブレーキを生み出している自分の思考を手放すと、ブレーキの力を弱めることができ、心の中にある葛藤のようなものが解消されていくので、アクセルを踏んで前に進むことができるようになります。
メリット・デメリットが見えてきて、ブレーキのもととなっている自分の思考が見えてきたときに、一旦、本当に自分が進みたい方向はこれでいいのか、ということを見つめなおしたい気持ちが出てくることもあります。そういうときは、アクセルを踏むことよりも、そちらを優先した方が良いです。どうせ、アクセルを踏んでも、前には進まないという割り切りもありです。
自分の進みたい方向であったり、今後どうしていくのかいいのか、ということであったり、自分の中で整理がついたうえで、それでもそのブレーキのもととなっている思考を手放したい、という想いがあれば、ブレーキを手放す準備ができている状態です。
ブレーキを手放す
思考を手放す方法は色々ありますが、単純なのは以下の質問を自分にする、というものです。
①「この思考を手放せますか?」→はい、いいえ、で答える。
②「この思考を手放しますか?」→はい、いいえ、で答える。
③「いつ手放しますか?」→答える。できないなら、できないと答える。
思考を手放せたと思えるまで、①〜③を繰り返すというのも効果的です。
ブレーキを手放すには、その存在に気付いて、自分の思考を見つめなおすという行為が大切です。ブレーキがあるということは、ある意味ではそれは体から
「今のまま進んでいくことはあなたにとって良くないよ。」
というサインがでてきている、という状態です。
気温が下がると寒さを感じたり、体に不調があるとそこに痛みを感じたりしますが、寒さを感じることや痛みを感じることには目的があるようなもので、これを感じないと、そこに対応が必要であることに、僕たちは気付くことが難しくなります。ここで体からブレーキのサインがでてきているのも、それと似たようなところがあります。
体から出てきているサインを拾ってあげて、対応が必要であることに気付いて、対応する。体が言うことを聞いてくれないとき、求められているのはそういう部分かもしれません。
気合で乗り切ることが難しい状況のときには、ちょっと気分を変えて、こういったことにトライしてみてくださいませ。
※セドナメソッドについて
「手放せますか?→はい/いいえで答える。手放しますか?→はい/いいえで答える。いつ手放しますか?→答える。」の部分はセドナメソッドを使っています。
心の内側にあるブレーキがわからなかったり、なかなかブレーキを手放せないという場合には、じっくりと自分の内なる自分自身と対話してみる、というのも良いかもしれません。その場合、以下の記事が参考になるかと思います。
体が言うことを聞かないときというのは、心が疲れ切っていて燃え尽きそうになっている、ということもあるかもしれません。今まで一生懸命だったのが、ぷつんと糸が切れたかのように、何にもする気がなくなったような感じになって、無性にむなしくなったり、燃え尽きたような感覚を感じてしまうような状態。そこで、気力が全く湧いてこないような感じならば、体が言うことを聞かなくなってもおかしくないです。もし、燃え尽きそうになっている、もしくは、燃え尽きてしまったような感覚があるのなら、以下の記事が参考になるかと思います。