完璧主義を手放す

投稿日:2018年5月1日      更新日:

完璧にやる、というのは気持ち良いものです。達成感を感じれますし、できた自分を褒めたくなります。この部分に関しては、周りに文句を言われるはずがない、という気分になり、なんとなくプライドや自信のようなものを刺激されることもあります。ただ、完璧にやりたい、という想いが先行するあまり、周囲には理解されないような細かいところにこだわりすぎたり、自分を追い込みすぎて疲れ切ってしまったり、周囲に対しても妥協を許さないような感じになってしまう、など、ある意味では完璧主義的な部分を抱える、ということもあるものかもしれません。

自分に完璧主義的なところはあると思えるでしょうか?
私自身、あんまり自覚はなく、どちらかというと大雑把で、そういうところがちょっとくらいあったほうが良いくらいなんじゃないか、とか、ふわふわーっと思っていたのですが、ちょっと振り返ってみたら、そういえば嫁からそのようなところを指摘されたこともあるな、というのを思い出しました。私にもありましたね。

直接、人から完璧主義と言われたことはなくても、例えば、高い目標を目指すのはいいものの、度が過ぎて疲れ果ててしまうまで頑張りすぎる、という部分はないでしょうか?例えば、自分がすごくこだわっていることで、あんまり周りからは理解されないような、むしろ細かすぎると指摘されるようなところはないでしょうか?
まあ、そんな風に言われたら、自分自身に完璧主義的なところが少しくらいはあるかもなと、思えるような聞き方を私があえてしている部分もあるかもしれませんが、ここでちょっと注目してもらいたいのは、その完璧主義的な部分は、あなたのお役に立っているでしょうか?、という部分です。

自分にも完璧主義的な部分はあるかもな、と思えて、その中で、手放すことができたほうが良いな、と思えるような部分はあるでしょうか?
完璧主義があることで、自分を追い込み過ぎているところがあるのなら、もしかしたら、その部分は手放すことで、肩の力を抜いてあげたほうが、バランスがよくなる部分はあるかもしれません。完璧にすることにこだわり過ぎているために、周囲に対してのあたりが強くなっている部分があるのなら、手放して周囲に対する接し方を少し変えたほうが、全体的にうまく回るような部分が出てくるかもしれません。

完璧、というのは気持ちいいものです。完璧じゃない部分というのは、その気持ち良さとは反対に、失敗・怠惰・クオリティの低下などなど、ネガティブなものを生み出すのではないか、という怖れを感じさせるものかもしれません。ただ、完璧であることを追い求めるあまりに、完璧じゃないものを排除しようということに力を使いすぎることがあります。そこで疲れ切ってしまったり、何かそれが問題のようなものを生み出してしまうことがあります。

自分の中で、完璧主義を手放したほうが良いかもしれない、という部分はあるでしょうか?
もし、そう思える部分があるのなら、それはある意味では、今の状態よりもより良いものを受け取る余地が自分の中にある、といった、自分を成長させるチャンス、とも言えるかもしれません。

自分の中の完璧主義の部分を手放してください。無理やり手放すというよりも、自分の中で、この完璧主義の部分は手放したほうがいいな、と思えるものから手放そうとしてみてください。

完璧主義に関しては、メリットとデメリットの2つの面があると思います。自分にとってその完璧主義があることで、都合が良いというものがあるとするなら、それはどんなものでしょうか?
その反対に都合がよくない、もしくは、問題や課題のようなものがあるとするなら、それはどのようなものでしょうか?
2つを見比べてみて、やっぱり手放したほうが良いと思えるなら、手放すという選択をしてみてください。

手放す時に、ただ手放すだけではなく、この完璧主義を手放す代わりにすることも考えてみてください。完璧主義を手放す代わりに、それよりももっと良いものを自分の内側に取り入れるとしたら、どんなものが良いでしょうか?
その完璧主義を手放した自分は、どんな風に振舞うことになるでしょうか?
手放して成長した自分自身をイメージしてみてください。

例えば、完璧主義は、人と何かを一緒にするという時に、邪魔になることがあります。素直に相手に頼ればいいのに、自分一人で完璧にすることにこだわりすぎたり、完璧主義があることで、人との間に壁ができてしまったりする、といった感じです。完璧主義を手放したほうがより良い状態を受け取れる可能性はあるけれども、相手が信頼できなくて、より悪くなる可能性の方ばかりみてしまうようなら、完璧主義を手放す代わりに、他のもっと良いやり方はないだろうかって考えてみてください。

新しい習慣を取り入れる、というのもおすすめです。完璧主義を手放して、その代わりに新しい考え方や振る舞いや行動パターンのようなものを取り入れるとして、それを定着させるための習慣のようなものを取り入れることはできるでしょうか?
完璧主義が自分の中で当たり前のようになっている場合、ふとした時にそれが自分の中に戻ってくることがあり、結局手放していないような状態になることがありますが、習慣的にする何かによって、新しい考え方や振る舞いを繰り返し自分がすることで、そちらの方を自分の中に定着させることができます。

完璧主義を手放す、というテーマで書いてみました。自分自身をじっくり見つめてみると、手放しても良いなと思える部分は、何かしら見つかるものかもしれません。これは手放さなくても良いと思えるものや、どうしても抵抗感が強いものに関しては置いといて、手放したほうが良いと思えるものから、手放すことで、より自分が楽さを受け取れたり、他にもより良いものを受け取れるということを実感してもらえるなら幸いです。

 

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カテゴリ-心の悩み
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