燃え尽きた感覚があるときは、自分を縛る義務や役割を一旦見直して手放せるものを手放していくことと、楽しみ、喜び、満足感、といった精神面にプラスになるものを受け取るということ。それにはまず「私、本当はどうしたいだろう?」という部分を見つめ直してみることが大切になってきます。
【目次】
・燃え尽きたような感覚
・補償行為
・受け取る
・自分の正直な気持ち
・義務と役割
・最後に
燃え尽きたような感覚
今まで一生懸命だったのが、ぷつんと糸が切れたかのように、何にもする気がなくなったようなことはあるでしょうか?
無性にむなしくなったり、燃え尽きたような感覚を感じたようなことはあるでしょうか?
何かを頑張っていたり、一生懸命だったときの反動が出ているかのように、気力が全く湧いてこないような感じだとしたら、もしかしたら、やりたいからやっていた、というより、やらなければならないからやっていた、あるいは、やるべきだからやっていた、という、何か義務感や危機感のようなものから、自分自身を駆り立てていたような一面があったのかもしれません。
燃え尽きたような感覚があるときは、無理しない、ということも大切なことかもしれません。焦らずに、ゆっくりする許可を自分に与えてあげてもいいかもしれません。
ただ、燃え尽きたように感じているときというのは、このままでいいのか不安だったり、心にぽっかりと穴が空いたように感じることもあるものかもしれません。
この状態から抜け出して、前向きな気持ちになりたいと思っても、なかなか心がついてこない、というのも、ありがちなことかもしれません。
補償行為
一生懸命何かをする、というときには、ただこなすだけではなく、「受け取る」という部分が大切です。楽しみ、喜び、満足感、やりがい、といった精神的にプラスになるような要素を「受け取る」、といったところがないと、精神的には徐々に削られていく感じになります。
仕事でも家事でも育児でも何でもそうですが、私達にはある程度、義務や役割といったものがあって、その中では義務的にこなすことが求められるような一面があります。周囲から求められるのは「こなす」ということであって、自分が「受け取る」というのはあまり求められないので、とりあえず「こなす」ということだけに注力するような感じにはなることがあります。そこに一生懸命になりすぎて、あまり余裕がない状態が続いていくと、流石に疲れがたまっていきます。心理的に「受け取る」ような部分があると、精神的に満たされる部分もあるのですが、そういったところがない状態でこれをやりすぎると、燃え尽きてしまいます。
心理学を語らせてもらうなら、心の奥底で罪悪感を感じている部分があったり、あるいは、自己評価が低いような人の場合、自分が「受け取る」ということの優先度が下がって、周囲から求められることに応える、ということの優先度が高くなる、という感じになることがあります。もっと自分自身を駆り立てて、もっと周囲から高い評価を貰えるように行動しなければならない、といった衝動のようなものに突き動かされてしまうようなこともあります。無意識のうちに、罪悪感や自己評価の低さ、といった、自分のマイナス面を補うことに一生懸命になってしまう、という心理です。このことを、補償行為、なんていう言い方をしたりもしますが、これに良くない感じではまりこんだときというのには、色々なパターンがあり、例えば、以下のような感じになったりします。
・ハードワークをしてしまい、心に余裕がなくなる。常に疲れている。仕事を頑張りすぎてしまう。
・ハードワークをするのが当たり前の場所で仕事をしており、そこから抜けられないと思い込んでしまう。
・自己犠牲的になり、自分ばかりが損をするような役回りになる。
・嫌なことを押し付けられても、断るのはわがままなんじゃないかと思ってしまい、結局引き受けて、ちょっと無理をしてでもこなしてしまう。
・自分がちょっと無理をするのが当たり前になる。周囲からもそれが当たり前のことのように思われている。
受け取る
燃え尽きたような感覚があるときは、精神的にはとても疲れている状況かと思いますので、焦らずに、ゆっくりする許可を自分自身に与えてあげてもいいかもしれません。そういう場合、体力的にもギリギリになっていることがあります。自分を大切にするためにも、休む、ということはとても大切なこと。
精神的にプラスになるような要素を「受け取る」という部分。楽しみ、喜び、満足感、やりがい、といった精神的にプラスになるようなものを自分自身に受け取らせてあげられるとしたら、どうするのが良いと思えるでしょうか?
燃え尽きた感覚があるときというのは、ここに至るまでに、自分自身が「受け取る」ということを後回しにしてきた、という部分が強かったかもしれません。だから、今更そんなことを言われても、と思われる方も多いかもしれませんし、どうすれば、そういったものを受け取ることができるのかわからない、という気持ちが出てくる方も多いかもしれません。
自分の正直な気持ち
「受け取る」ためには、私どうしたいだろう?
という自分自身への問いに対する答えが大切になってきます。義務や役割にしばられていると、どうするべきか、ということや、どういったことが周りから求められているのか、ということが気になるかもしれませんが、「受け取る」というときに大切になってくるのは、自分の正直な気持ちの部分です。
ちょっとくらい、わがまま、でもいいです。
ちょっとくらい、自分勝手、でもいいです。
自分自身はどうしたいのか、ということを中心軸においてみたときに、どんなことが思い浮かぶでしょうか?
燃え尽きた感覚があるときというのは、自分自身に対しての、優しさ、のようなものが欠けていたのかもしれません。自分を縛る義務や役割はこの際、一旦おいといて、自分自身に素直になってみるならば、
「私どうしたいだろう?」
と自分に問いかけてみたときに、どんな答えが返ってくるでしょうか?
全部投げ出したい、とか、なんにもしたくない、といったことが思いつくかもしれませんし、なにもしたくない、という気持ちが強いなら、それは、自分自身の体と心を休ませたい、ということかもしれません。すべて忘れてどこかに遠くに行きたい、みたいなことも思いつくかもしれませんし、空想に近いようなことも思いつくかもしれません。まずは自分の内側の声にじっくりと耳を傾けてみてください。
義務と役割
私達にはある程度、義務や役割といったものがありますが、その負担が大きすぎるあまりに、精神的に自分が追い込まれて、燃え尽きるということがあります。普段自分がやっていることを冷静に見つめてみて、一人で頑張りすぎていたり、抱え込みすぎていたり、自分を駆り立てすぎているようなところがないか、チェックしてみてください。本当は逃げたほうがよい状況なのに、自己犠牲的にその状況で踏ん張り続けて、自分自身が苦しくなる、というパターンもあります。自己犠牲的になりすぎていないかもチェックしてみてください。
「やらなければならない」と思い込んでいるような部分があるならば、手放せるものを手放していくこと。例えば、「どうしてやらなきゃいけないと思っているんだろう」と自分に問いかけてみると、どんなことを思いつくでしょうか?
自分の中で本当に大切にしたいものや、本当に守りたいもの、を見極めようとしてください。義務や役割にはまり込んでいると、本当はそこまで大切ではないものに自分自身のパワーの大部分を割いてしまう、といったことがあります。もし「もうこれ以上頑張らなくてもいいかもしれない」と思える部分があるのなら、そこで改めて自分自身に問いかけてみてください。
「私、本当はどうしたいだろう?」
燃え尽きた感覚を感じたとき、というのは、ある意味では自分自身のターニングポイント、といえるタイミングかもしれません。もし、燃え尽きた感覚を持ちながらも、何も変化することがなければ、今の状態が続いていくことになりますので、何かしらの変化を取り入れるほうが良いです。自分がどうしたいかの部分に耳を傾けて、そこを中心軸において行動することで、義務と役割中心で燃え尽きた感覚を感じていた人生の流れに、変化を呼び込もうとしてみてください。
最後に
燃え尽きた感覚があるときの心理について、深堀りして書きました。燃え尽きた感覚があるときは、自分自身を縛っている義務や役割を一旦見直して、手放せるものを手放していくことと、楽しみ、喜び、満足感、やりがい、といった精神的にプラスになるようなものを受け取るということ。そのために、「私、本当はどうしたいだろう?」という部分を見つめ直してみること。
ただ、どんなことをすると自分の気持ちの部分が満たされるのか、というのには、もしかしたら、試行錯誤、が求められる部分はあるかもしれません。
自分自身を楽しませたり、喜ばせたり、満足させたりするためには、どういうのが自分にとって良いのかについて、より理解を深めていくこと。何がその人にとってフィットするのかは、個人差が大きいところです。人によって有効なものというのは変わってきますので、自分に合うものを取り入れること。やってみたら意外と良かったり、思ったより自分にフィットするものが、まだ体験したことのないものの中に埋もれている可能性もあるかもしれません。
燃え尽きる感覚もありつつ、今、あまりにも忙しすぎて心がすりきれそうという方の場合、以下の記事も参考になると思います。忙しい時にやることが多々あるとして「これは誰のためにやること?」と自問自答した時、それが自分自身や愛する人のためじゃないのなら、普段から自分が大切にしたいことを軸にして行動しているのではなく、義務感や罪悪感を軸に行動している部分が多いかもしれません。