誰かに責められるというのは、
辛い体験だと思います。私も苦手です。
攻撃された、ということから、
相手を遠ざけたくなったり、
自分の身を守りたくなったりします。
ただ、ここで切り口を変えて、
相手の攻撃の裏に隠れている想いの部分を見ていくことで、
また違った解釈ができるようになります。
攻撃してきた相手のことを理解しようとしてみる、
ということが、そのスタートになります。
もちろん、そんな気分になれないのであれば、
無理にする必要もないのですが、
もし、攻撃をしてくる相手が、自分の大好きな人や、
愛する人であった場合、本当にしたいことは、
相手を遠ざけたいのではなく、
愛してあげたい、というのがあると思います。
もし、相手のことを愛してあげたいとしたら、
相手のことを理解する切り口として、
こんな目で相手のことを見てみてください。
この攻撃、というのが、自分に対して、
助けを求める声、だとしたら、
どんな助けを、自分は求められているのだろう?
この攻撃的な部分、というのが、
この相手の弱い部分だとしたら、
どんな痛みがあって、攻撃的になっているんだろう?
そういう目で、相手を理解しようとしたときに、
もし、気付くことがあって、
相手の助けを求めている部分、痛みの部分が見えたとしたら、
そこで選択があります。
その人のことを、助けてあげたいですか?
もし、答えがYesだったとしたら、
攻撃に対して、その人を遠ざけるのではなく、
自分の身を守るのではなく、
全く別の行動をとる意欲が自分のハートから流れ出てきます。
攻撃の言葉を浴びせられたとき、というのは、
悪意やよくない想いから出てきたものかもしれません。
ただ、もし、あなたにとって、その攻撃の言葉が、
助けを求める叫びや、愛を求める叫びなんだ、
ということに気付くことができれば、
全くそれは、あなたの中で違う意味を持ってきます。
特に、愛する人や大切な人からの攻撃ほど、
そういう目でみてあげてみてください。
なぜなら、攻撃されているときこそ、
相手を愛すという行動をする、絶好のチャンスだからです。