自分を好きになりたくてもなれなくて、自分を卑下してしまうようなことはあるでしょうか?
頑張って誰かに認めてもらおうとしてもうまくいかず、何か努力したとしても、自分に自信がつくわけでも、自分のことが好きになれる訳でもないような、そんなことを感じたことのある方はおられるでしょうか?
自分を好きになる。言葉にするとそれだけなのですが、自分を否定するメッセージが自分の内側からいつも聞こえてくるような場合、どうしても自分に自信が持てなくて、自分を好きになるという感覚自体がピンとこない、といった方もおられるかもしれません。
自分のことを好きになれないとき、人から自分がどう思われているかが気になって、周りの目を気にしながら行動することも多くなるかもしれません。心を開いてありのままの自分でいるというより、相手に合わせる部分が大きくて、自分を作るという感じになってくると、友達と一緒にいても、本当の自分を見て仲良くしてくれているのか、ただ単に作っている自分を見て仲良くしてくれているだけなのか、わからなくなるかもしれません。
なるべく心穏やかに日々過ごしたいと思っても、自己嫌悪が強くて、自分自身をネガティブに扱うのが癖のようになっているのであれば、人と関わること自体をめんどくさいと感じることもあるかもしれませんね。
愛されるためには頑張らないといけない、と感じているしたら、頑張っていない自分には愛される価値はない、と思えてくるかもしれません。でも、それって本当でしょうか?
本当かどうかはおいといて、今現実に自分自身の感覚としてはそうとしか思えない、ということはあるかもしれません。
ありのままの自分に怠け者の一面があるとしたら、本当の自分は、愛されるための努力をしたがらない存在であり、そのままだと価値が低い、と思えてくるかもしれません。愛されたいのなら、自分自身に何か付加価値をつけるために何か頑張らないといけない、と思えてくるかもしれません。
でも、それって真実でしょうか?
少なくとも、ありのままの自分が愛されている感覚がないのであれば、仕方なく、頑張ってでも愛されるという選択肢が、浮かび上がってくることもあるかもしれません。
自分に何か付加価値をつけるのであれば、できるだけ優れている要素を身につけたいという気持ちが出てくるかもしれません。いいところで働くということや、仕事ができるということや、収入が人よりも高いということや、ここだけは誰にも負けないところがあるということや、見た目がある程度のラインにあるということや、その他諸々、本来の自分のありのままの姿とは関係ないところでも何でもいいので、何かプラスの要素を身につけて、価値を証明するということが大切なように思えてくるかもしれません。自分の価値が証明できるのなら、ありのままとかどうでもいいし、自分の価値が証明できないのなら、ありのままでも意味はない、と思えることもあるかもしれませんね。
ただ、ありのままの自分ではない自分が愛されたとしても、自分が愛されているという感覚にはあまりなれないかもしれません。愛されているのは自分自身ではなく、自分が作り上げたこの仮面の部分。その仮面の部分がいくら愛されたとしても、その仮面の価値をどれだけ証明できたとしても、自分自身が受け取れる愛情という報酬は、ほんのわずかなものになるかもしれません。
この社会で生き残っていくために、もしかしたら、仮面は必要なものかもしれません。ある程度、仮面の価値を人に認めてもらった方が、生きやすいという一面はあるかもしれません。ただ、自分を好きになりたい、というときに大切になってくるのは、その仮面の価値を人に見てもらうということではなく、ありのままの自分の価値を、自分自身が認めてあげるということ。
ありのままの自分が愛されるためには頑張らないといけない、と思っているとしたら、その思考を手放すこと。ありのままの自分は愛されないので優れている要素を身につけないといけない、と判断しているとしたら、その判断を手放すこと。好きなことばっかりやってるんじゃなくて、愛されるためには頑張っていろんなことにトライしないといけない、と思い込んでいるとしたら、その思い込みを手放すこと。
自分のことを好きになるためには、自分が自分のことを大切にしてあげること。自分が嫌がることを無理に自分自身にさせないこと。生き残るためには、最低限やらなければならないことはありますが、無理が一定量たまって限界を越えると、そこからさらに無理を自分自身にやらせようとしても、心と体に抵抗されて、何もできなくなります。苦手や人や嫌いな人に無理に近づかないこと。他の人が自分のことをどう判断しているか過剰に気にしないこと。誰かがあなたを見下したからといって、あなた自身があなたのことを見下す必要はどこにもないです。
自分のことを好きになるためには、自己愛を育てていくこと。といっても大げさなことをする必要はなく、自分が楽しいと思えることをなるべく選択していくということや、自分自身が喜びを感じるような選択を重ねて行くことで、自分自身を大切にしてあげる体験を積み重ねていくということ。もし、人から肯定されるようなこと言われたり、そういう態度をとられたときには、それを否定せず、感謝して受け取ること。頑張って誰かに認めてもらう、のではなく、頑張らないありのままの姿で一緒に過ごせる人との関係性を通して、自然に自分から相手に愛情を与えていき、相手からも愛情を受け取っていくこと。その積み重ねが、心の中にある自己愛の育成、あなた自身があなた自身の価値を感じられることにつながっていきます。
小さな楽園、という記事を書いたことがあります。自分の周りにいるごくごく身近な人たちとの間に、ありのままの自分でいられる居心地のよい関係性を作って、そこで自分の価値を感じることができたり、楽しさや嬉しさを感じることができるのなら、その場所は、ある意味では自分にとっての居場所といえるようなものであり、そんな小さな楽園を育てていきましょう、なんてことを書いたのですが、自分を好きになりたい、というときに、この部分にエネルギーを注ぐ、というのが私個人の意見としては、非常におすすめです。
自分を好きになりたいときのことを書きました。自分自身の体験としても、自分のことを好きになれないときというのは、ここに書いたようなやった方が良さそうことは一切せずに、ここに書いた手放したほうが良さそうなことをむしろ積極的にやっていた記憶があります。
ここに書いたことで、何かしらお役に立てることがあるのなら、幸いです。