
疑心暗鬼になる時に大切なのは、何に対して疑いを抱いているのか?という部分。疑心暗鬼の核心にあるものは自分自身に対する不信感かもしれません。不信感を乗り越えていくには成長するということが求められてきます。
【目次】
・疑心暗鬼になるとき
・何に対して疑いを抱いているのか?
・自分に対する不信感
・見極めた方がよいもの
・私がどうしたいのか
・まとめと補足
疑心暗鬼になるとき

パートナーに対して疑心暗鬼になるようなことはあるでしょうか?
疑心暗鬼になるくらいなのだから、なにか疑わざるを得ないような状況、があったのかとは思います。
そこでパートナーのことを信じたくても、どうしても疑いの気持ちが心の中から出てきて苦しくなるような感じがでてくることもあるものかもしれません。
例えば、私の事を本当は考えていないんじゃないだろうかとか、浮気してるんじゃないかとか、愛されてる自信がないなど、ネガティブな思いや感情がたくさん出てきて、どうしようもないような気持ちになるようなこともあるかもしれません。
疑心暗鬼の気持ちがでてきているとき、意識的にはパートナーに対しての疑いを感じるかもしれません。ただ、もしかしたらその心理の裏側に、自分に対する不信感のようなものが隠れていることもあるものかもしれません。
何に対して疑いを抱いているのか?

何に対して疑いを抱いているでしょうか?
改めて、自分自身にそんなことを問いかけてみるとしたら、どんな答えが返ってくるでしょうか?
疑いの向き先は、パートナーの愛情、かもしれません。ロマンスがあった時には感じられたパートナーから愛されている感じや、パートナーが自分の方を向いているような感じがなくなったように感じて
「この人は本当に私のことを愛しているのだろうか?」
ということに疑いを持つようになったのかもしれません。
疑いの向き先は、パートナーの行動、かもしれません。過去のパートナーの良くない振る舞いを思い出して、今のパートナーが同じようなことをしてくるのではないか、ということに疑いを持つようになったのかもしれません。
疑いがあるということは、パートナーに対して、
「こういうことをするんじゃないか?」
という怖れのようなものを感じているのかもしれません。ただ、あえて、
「どうしてパートナーがそうすると思うのだろうか?」
というところを掘り下げて自分自身に問いかけるとしたら、どんな答えが返ってくるでしょうか?
過去に経験した心の痛みのようなものがでてくるようなこともあるかもしれません。
・親にあまり大切にされてこなかったのと同じように、パートナーからも大切にされないのではないか?
・過去のパートナーから愛されなかったのと同じように、今のパートナーからも愛されないのではないか?
あるいは、こんな感じの心の痛みのようなものがでてくることもあるかもしれません。
・私は愛されるに値しない
・こんな自分と一緒にいてもパートナーは楽しめるわけがない
・私は魅力的ではない
もし、疑心暗鬼になる心理の裏側に、あなた自身の心の痛みのようなものがあるのであれば、もしかしたら、そこはケアしてあげた方が良い部分なのかもしれません。
自分に対する不信感

疑心暗鬼の核心にあるものは自分自身に対する不信感かもしれないと、そんな風に考えてみたら何か気付けることはあるでしょうか?
自分に対する不信感は自己攻撃を生み出し、成長して前に進んでいく流れを妨害してしまうことがあります。
もう傷つきたくないという想いがあるとき、私たちはとても防衛的になり、疑り深くなります。パートナーシップでこのパターンは起こりやすいかもしれませんが、過去に傷ついた自分自身の心を守るために、パートナーに対して過去の出来事も含めて何とかさせたい気持ちがでてくることがあります。言葉にするとこんな感じかもしれません。
「こんなに傷ついている私を最低の気分にさせたのはあなたなのだから、あなたが私の過去傷ついた分も含めて全部責任取ってよ」
パートナーに対してそんな態度をとりたい気持ちになることも、時としてあるものかもしれません。
過去に傷ついた自分を守りたいと思うのは、自分がそれを乗り越えられるということを信じられないからかもしれません。自分が愛されるに値しないと感じてしまうのは、自分の魅力を信じられないからかもしれません。疑心暗鬼になっているのは、本当は自分自身に対してなのだとしたら、あなたが前に進むためにできることは、あなた自身が成長していくプロセスを信頼してあげるということ。
もし、過去の傷ついた自分がいるとしたら、どんな部分をケアすることが求められていると思えるでしょうか?
ケアのやり方は色々とあるのですが、例えば、その傷がかなり根深いもので幼い頃に感じたようなとても古い傷だった場合には、「過去に経験した古い感情をケアするためのエクササイズ」(この心鈴泉ブログ内の記事のリンクです)をやってみるのも良いかもしれません。
また、もし、自分の魅力を信じられない、とか、自己肯定感の低さのようなものがある場合には、こちらを参考にしてもらうのも良いかもしれません。
見極めた方がよいもの

パートナーの行動には、あなたの疑心暗鬼を刺激するものがあるかもしれません。ただ、あまりそこに目線を合わせすぎると
「パートナーがあなたのことをどう思っているのか」
があなたにとっての考えの中心軸になってしまいます。そうするとパートナーをコントロールしたくなったり、あなたが幸せを感じられるのかどうかがパートナーに大きく依存することになります。
考えの中心軸にした方がいいのは、あなた自身がどうしたいのか、ということや、どうありたいのか、ということ。自分自身が幸せになっていくために、あなたはどうしたいでしょうか?
疑心暗鬼になっているとき、大切なのは相手を見極めることというより、自分がどうしたいのかを見極めていく、ということなのかもしれません。
過去の傷をケアする、といったことや、あなた自身が成長していくプロセスを信頼する、といったことを書きましたが、その上で、パートナーシップの問題とどう向き合っていくか、というときに、
「私にとって、本当にこのパートナーでいいのだろうか?」
という視点は大切かもしれません。
疑心暗鬼になるということは、それなりの出来事がパートナーとの間にあったり、まだはっきりとはしていなくとも怪しさを感じられるようなことがあったかもしれません。そこでパートナーとの間にコミュニケーションが求められるような状況も多々あるかもしれません。ただ、そこで何か誤魔化されたような印象を受けたり、険悪な雰囲気になったり、コミュニケーションをしても余計にもやもやした気持ちになることもありがちなことかもしれません。
私がどうしたいのか

「パートナーに私を本気で愛してほしいし、私を信頼させてくれるような言動をパートナーにしてほしい」
と思いたくなるのが人の心理というものかもしれません。ただ、そこで
「パートナーがあなたのことを今どう思っているのか」
があなたにとって最重要事項になると、あなたが幸せを感じられるのかどうかがパートナーに大きく依存する、という考え方の軸にとらわれやすくなっていきます。
まあ、気になりますよね、そこは。とっても気になるところだとは思います。
ただ、どちらかというと考え方の軸として中心にしたいのは、私がどうしたいか、です。今のパートナーのありのままの姿を見て、今のパートナーの振る舞いをできる限り意識的に客観的に見ようとしたとき、
このパートナーはあなたに本当に相応しいでしょうか?
このパートナーをあなたは本気で愛したいでしょうか?
そこで、本気で愛したいと思えるのなら、自分からパートナーに愛情を与えていく、ということに本気でコミットしていくことが求められてきます。疑心暗鬼になるくらいですから、そこでは、なぜそこまで自分がやらなければならないのか、ということに不満が出てきたり、自分の心の傷をえぐられるような出来事に遭遇したりなど、辛いことも多々あるかもしれません。
ただ、私がどうしたいのか、ということを軸に考えた時に、やっぱりこのパートナーを愛したい、ということであれば、そこを乗り越えていくことが求められてきます。パートナーを愛する、というので、いくつか例を挙げますと、
「この人を良い気分にさせてあげたいと思うのなら、どう接してあげるのが良いんだろう?」
というのを考えてみて、良さそうなものがあったらトライしてみたり、反応がイマイチだったらまた他のものを考えてみることで、パートナーがあなたとの時間を居心地よく過ごせるための工夫を積み重ねていくのも良いかもしれません。もし、ネガティブな態度をとられるようなことがあれば、
「なぜこんな態度をとってくるのだろう?」
という部分を良く見て、パートナーの取扱説明書的なところを理解してあげる、というのも良いかもしれません。また、自分の心理的な課題がある部分について自分自身が成長する、というのも良いです。これはある意味ではこの道のりを選ぶ場合、必須、になってくることかもしれませんが、これをすると、今よりも成熟した自分でパートナーと接することができるようになるわけですから、パートナーを愛することにもつながってくるところがあります。
その軸とはまた違って、このパートナーのことは好きだけれども、自分の幸せを考えた時に、何が何でもこのパートナーを愛したいというより、私にもゆずれない一線はある、という方もおられると思います。そうすると、コミュニケーション、が鍵になってくると思います。このパートナーとどう向き合っていくのか、ということや、どう結論を出していくか、ということも大切になってくるかもしれません。
その軸ともまた違って、どのパートナーに対しても必ず疑心暗鬼になってしまって、パートナーの言動がどうというより、自分自身の内面の問題としてパートナーを信じられないというのがあって、どうしたらいいのかわからないけれども、自分としてはなんとかしたいと思っている、という方もおられると思います。その場合、パートナーをどうしても疑ってしまうという部分を掘り下げて、自分が成長するための課題として本気で向き合っていく、ということが求められてきます。
いくつかパターンを書きましたが、いずれにせよ「私がどうしたいのか?」が重要であり、その軸がぶれていると
「どうするのが自分にとっていいのだろうか?」
といったこともなかなか定めにくくなるかもしれません。恋愛には正解があるというより、自分がどうしたいのか、ということが自分にとっての正解になってくるような一面があるものかもしれません。
まとめと補足

パートナーに対して疑心暗鬼になるときのことについて、掘り下げて書きました。疑心暗鬼になる時に大切なのは、何に対して疑いを抱いているのか?という部分と自分自身に対して持っている不信感の部分。自分への不信感を乗り越えていくには、成長する、ということが求められてきます。それに加えて大切なのは、疑心暗鬼を抱くパートナーとの関係性について自分はどうしたいのか、という部分です。ここに書いたことで、何かしらお役に立てるところがあるのなら幸いです。
一点補足することとして、恋愛は自立と依存の関係性になりやすい一面があります。お互いがお互いのことを同じくらい好き、なのがバランスとしては良いのですが、そうではなく、どちらか片方の気持ちが強くて、もう片方は少し落ち着いた感じ、になることがあります。このとき、気持ちが強い側が依存で、落ち着いてる側が自立、という感じです。そうすると、自分はこんなに好きなのにパートナーからはそこまで想われていない、というバランスになることがあります。そのとき、依存側からすると気持ちの温度差を感じて、ネガティブな感情を感じる、といったこともあるかと思っています。その辺りを掘り下げて書いた記事がありますので、もしよろしければ、参考にしてもらえればと思います。