
不器用な自分を受け入れにくいのなら、そんな自分を理解することから始めてみること。ただ、もし抵抗感が強いようなら、それを生み出している罪悪感や自分が無価値に思えるマインドをケアしていくこと。
【目次】
・不器用な部分
・自己理解
・自分自身への問いかけ
・罪悪感
・自分に価値がないように感じるマインド
・自己受容
不器用な部分

人より不器用なことがあるとき、自分のことを心の中で責めてしまう、といったことはあるでしょうか?
コミュニケーションが下手、運動神経がよくない、要領が良くない、対人関係が苦手など、自分のことを不器用に感じるパターンには色々なものがあるかもしれません。そこで孤独感や劣等感を感じたりすることもあるかもしれませんし、不器用な自分を受け入れて自分を好きになろうと思っていても、上手くいかなくて、心が辛くなってしまうこともあるものかもしれません。
自分をよく見せようとして頑張りすぎたり、無理をしてしまう、という方も中にはおられるかもしれません。それでも失敗することがあったときに、自分自身を強く責めてしまうということもあるものかもしれません。
ただ、不器用だったとしても頑張ることでそこをカバーしようとしていて、そこである程度の成果を出すことができている場合、その姿勢を見ている人は見ているもので、自分が思っているよりも周囲から評価されるということも、ときとしてあるものかもしれません。
不器用な自分を受け入れるということ。
ただ、不器用な部分を自分の心の中で責めている度合いが強いほど、それを難しいことのように感じやすいかもしれません。
自己理解

不器用な自分を受け入れにくい気持ちがある時は、そんな自分を理解することから始めてみるのも良いかもしれません。無理に不器用な自分を受け入れようとせず、まずは一旦、自分自身の今の現状をありのままに見つめてみること。
ありのままの自分を見つめてみようとしたときに、こういうところが良くない、と自分自身にダメ出しをしたくなることもあるかもしれません。ただ、自分にダメ出しをするというのは、ありのままを見つめるというよりも、自己いじめ、に近いかもしれません。やりたいことは自己いじめではなく、自分自身を理解する、ということですので、ダメ出ししたい気持ちは一旦置いといて、ただありのままに自分自身を見ようと意識してみてください。
例えば、苦手なことがあるのなら、私はこれが苦手なんだなあ、というところまでを理解すること。苦手なのがダメ、といったダメ出しまではしないこと。例えば、不器用なために誰かに良くないことを言われたのだとしたら、良くないことを言われて傷ついた自分がいる、というところまでを理解すること。あんなことを言われるような自分はダメ、といったダメ出しまではしない、といった感じです。
心の中で、理解することとダメ出しをすることの間に境界線を引いてください。理解は自分を受け入れることの助けになりますが、ダメ出しは自分を責めることにつながります。今やりたいことは、理解、です。
理解とダメ出しの間に境界線を引いて、自分を理解しようとしたとき、冷静に自分自身のことをただ理解している、というところまでくると、
「ああ、自分ってこうだよな。」
ということを、ただ見つめている自分がいることに気づくことができるかもしれません。
そして可能なら、そんなありのままの自分のことを受け入れようとしてみてください。
自分自身への問いかけ

不器用な自分のことを受け入れようとしても、そこで抵抗感がでてくることもあるかもしれません。
その場合、ここで一つ、自分に問いかけてみてください。この不器用なところもある自分のことを、受け入れたくない気持ちが心の中にあるのだとしたら、それは、なぜだと思えますでしょうか?
不器用な自分を受け入れたくない理由が自分の中にあって、自分を受け入れるということに抵抗感を感じているのだとしたら、
「これは、なぜなんだろう?」
と、自分に問いかけてみてください。
罪悪感

その問いに対しての答えですが、色んな人がいて、色んな理由があるかと思います。
これはあくまで一例ですが、そこに罪悪感のようなものがある方もおられるかもしれません。罪悪感を言葉にするのなら、不器用なままの自分は、許されるべきではない、という感じかもしれません。では、いつ頃から、許されるべきではないと思うようになったのか、と自分に問いかけてみるとしたら、どんな答えが返ってくるでしょうか?
罪悪感が幼い頃に形成されたものであるほど、その痛みは心の奥深くに根付き、まるでそのことが当たり前のような感覚になってしまうこともあります。もし、罪悪感があることが自分の中で当たり前のようになっているのなら、幼い頃に感じたその古い罪悪感をケアするエクササイズ(この心鈴泉ブログ内の記事のリンクです)を試してもらうのもお勧めです。
自分に価値がないように感じるマインド

もう一つの例として、自分のことを無価値であるかのように感じている方もおられるかもしれません。
自分に価値がないように感じていると、その部分を補うために頑張りすぎたり、自己犠牲的になったりすることがあります。そこで、無価値な自分を何かで補いたい気持ちがあるのに、
「不器用な自分を受け入れる」
と言われても強い抵抗感が出てくるものかもしれません。
自分の価値が感じられない、ということの背景に、幼い頃の体験が生み出している心理、が隠れていることがあります。幼い頃、自分は大切にされていないとか、自分は望まれていない、といった気持ちを感じるようなことがあったときに、自分には価値がないのではないか、という観念が心のなかに生まれることがあります。
人には皆、価値があります。
ただ、その観念があるために、まるで自分には何の価値もないように感じてしまうということもありがちなことかもしれません。
この場合、自分のことを無価値のように扱うのではなく、自分の価値の部分を受け取っていく、ということが大切です。
このとき、やった方がいいことを一つあげるとすれば、意識的に自分のいいところを探す、というものがあります。それも、できるだけなるべく、たくさんの自分のいいところを。無価値な感覚が強い人がこれをやると、なんだか違和感ばかりが強くて、疲れるかもしれません。これで無価値な感覚が急に消えて無くなるわけではないのですが、これは、心の筋トレ、のようなもので、普段使っていない「心の筋肉」であれば、ちょっとの負荷でも疲れるもの。価値を受け取る、ということに自分の心を慣らすためのトレーニングのようなもの、と思ってもらってもいいかもしれません。
これは、セルフイメージをあげる、とか、自己肯定感をあげる、ということにもつながるものです。自己肯定感や、自分の価値を受け取るということに関して掘り下げている記事がありますので、こちらも参考にしてみてください。
自己受容

不器用な自分を受け入れにくいとき、まずは、そんな自分を理解することから始めてみること。
そこでもし、不器用な自分を受け入れられなくて、その心理の裏側に罪悪感があったり、自分のことを無価値であるかのように感じているマインドがあるのなら、その心が痛みを感じている部分をケアしていくこと。
もし不器用で、一人でできないことがあるときは素直に助けを求めること。助けを求めることへの罪悪感があるのなら、その部分を自分の中で許容してあげること。
完璧じゃない自分を受け入れること。不完全な自分自身のことを責めたい気持ちが湧いてくることもあるかもしれません。そこで、自分自身を追い込みがちになる人もいらっしゃるかもしれません。不器用なりにも一生懸命頑張ることで、そこを補ってある程度物事を回していこうとしても、だんだん、そこに限界のようなものを感じることもあるかもしれません。そういうときほど、
不器用な自分を受け入れる
ということが大切になってくるかもしれません。
もし、もう頑張れない、と思うことがあるのなら、頑張れない自分を許容すること。なぜできないか、ではなく、どうすれば良いのかを考えること。どんなときも、自分が自分自身の味方になってあげてください。そのためには
「私どうしたいだろう?」
ということを自分に問いかけてみてください。その答えが、ここから前に進んでいくための鍵になっていきます。
一点補足することとして、自分の中の不器用なところに対して、人から何か責められてるかのような気持ちを感じられる方も、おられるのではないかと思っています。
こういった人から責められている気がするときの心理と、そのときの自分の内側にある罪悪感について掘り下げて書いた記事がありますので、もしよろしければ、参考にしてもらえればと思います。