例えば、自分でも少し気にしていることをチクチクと言われる、とか、小言をあれこれと言われる、といったライトなものから、価値観を強引に押し付けられる、ダメ出しをされる、自己否定される、といったヘビーなものまで、色んなパターンがあるかもしれません。
親からの干渉がすごく強い場合に、親の言うことがどうしても無視できなくて、なんだかモヤモヤした気分になる、ということもあると思います。兄弟間で差をつけられるようなことを言われて嫌な気分になったり、親がらみのことで何か犠牲的なことをしなければならないような気分になったり、場合によっては、何か罪悪感のような、自分の至らなさのようなものを感じることもあるかもしれません。
もちろん、そういったネガティブなことばかりでもなく、親から言われて嬉しかったことや、親からしてもらって嬉しかったことというのもあるとも思います。自分からも親に対してひどいことを言っていたり、やっている、というのも人によってはあるかもしれません。ただ、親からの影響が強すぎて、振り回されるような感じが強くなっているようなら、親と自分との間の距離感を、少し見つめ直してみても良いかもしれません。
当たり前の話かもしれませんが、親と自分は別の人間です。別の人間である限り、感じることや考えること、価値観や優先順位、といったものは完全には一致せず、異なる部分というのがどこかしら出てきます。ただ、僕たちは他の人を見たときに、自分とは違うものを持っているということに、不快感を感じることもあります。相手の感じ方や考え方を批判したくなったり、相手の価値観や優先順位を知って嫌な気分になったりすることがあります。同じである必要はないのに、同じじゃないとダメなような気がすることがあります。
イソップ寓話の一つに、ろばを売りに行く親子、というお話があります。(ネットで検索すると色々出てくるかと。wikipediaなんかにも掲載されています。)私の解釈の一つをいうと、人の意見に振り回されたために大切なものを失ってしまう、というお話です。もちろん、他人の話に耳を傾けるな、なんて極端なことを言いたいわけではないのですが、もし、自分なりの考え方の軸のようなものがなくて、自分の人生を他人の意見任せにすると、どうなると思いますでしょうか?
親と自分。大切にしているものが違ってもOKです。やりたいことが違ってもOKです。
あなたにとって、大切なものは何でしょうか?
あなたにとって、本当にやりたいと思えることは何でしょうか?
そこに親も含めて誰かの同意を得る必要はなく、あなたはただ、何が大切かを選び、何がしたいかを心の中で選ぶだけでOKです。実際に、どう行動するか、どういう振る舞いをするのかは、他の様々のことを考慮して選択する必要がありますが、そのことはさておき、あなたが心の中で抱く、考え方の軸となるものを何にするか、それをどんな感じのものにするかは、あなただけが決めれるものです。
ただ、私が思う、これだけはやめておいた方がいい、という軸があります。それは、嫌われない、ということを軸にするというものです。あるいは、怒られない、ということを軸にするというものです。何を嫌うのか、何を怒るのかは、他人が決めることです。だから、あなたがそれらのようなものを軸にすると、結果的に、あなたは他人に軸を預けることになり、ろばを売りに行く親子、の話のように、あなたはあなたにとっての「ロバのようなもの」を失うことになります。それはやめておいた方がいいです。
少し極端な言い方をすると、親の顔色を伺うよりも、あなたは、あなた自身の顔色を伺った方がいい、と私は思っています。あれこれとネガティブなことを言ってくる親と接していると、なんとか、平穏無事にすむように、あんまり刺激しないように、親のご機嫌を損ねないように振る舞いたくなるかもしれません。それで全部うまくいくならラッキーですが、それがうまくいかなくて、親がネガティブな反応をした時に、私たちは自分のことを責めるかもしれません。「あんなこと言わなければよかった」とか「黙ってうなずいておけばよかった」とか思うかもしれません。もしくは、第三者から「あなたがそんなことをしたから、親からそんな風に扱われるのだ。あなたが悪い。」というニュアンスのことを言われるかもしれません。ただ、私はもう一度、別の言い方で書きますが、あなたは、親の顔色を伺うよりも、あなたにとって大切だと思えることを優先した方がいいです。
あなたなりの考え方の軸を持って、親と接すること。親のご機嫌よりも、それを優先すること。それは、あなたがあなた自身を大切にすることにつながります。
親のご機嫌よりも、ご自身のことを大切にしてあげてください。親がネガティブな反応をしたからと言って、自分で自分にダメ出しをしないであげてください。親が怒ったからと言って、自分のどこがいけなかったのかの欠点探しをしないであげてください。その代わりに、私、どうしたいんだろう、って考えてみてください。
どうするのが正解なんだろう、と考えるのはおすすめしないです。それは、今のあなたは正解ではない、もしくは、あなたは間違っている、ということをベースにした思考かもしれません。それよりも、私はこの親に対してどうしていきたいんだろう、って考えてみてください。そこにあるのは、どこかの誰かが決める正解ではなく、あなたが決めるあなたの意志です。それを何よりも大切にして、何よりも優先してあげてください。誰かの意見に耳を傾けるとしても、まず、あなたがどうしたいのか、がベースとなって、そこに人の意見を取り入れていった方が良いです。それなしに、誰かの忠告やアドバイスを取り入れても、あなたにとっての良い結果は生まれにくいです。
あなたがどうしたいのかが明確にならないと、どういう結果があなたにとっての良い結果なのかが定まらないです。あなたがどうしたいのかを明確にしないままにする行動は、あなたにネガティブな感情をぶつけてきている親や、あなたに忠告やアドバイスをした誰かが望む姿には近しいかもしれませんが、そこにあなたの意思はなく、ただ自己犠牲的な精神が求められます。それは、できればやめておいた方がいいです。あなたはまず、あなた自身を大切にしてあげてください。
もし、今あなたの中に、親から聞いたダメ出しの言葉だったり、自分に悪い評価をするような考え方が根付いているようなら、自分自身を大切にするために、その思考を手放してあげてください。あなた自身も、これは意味があるな、と思うものだけは残して、それ以外を手放してあげてください。
もし、今あなたの中に、親からネガティブな感情をぶつけられて、仕方なくしている犠牲があるのなら、そしてもし、あなた自身がそのことを、本当はやらなくてもいいんじゃないかな、と思っているようなことがあるのなら、自分自身を大切にするために、それらを手放してあげてください。あなた自身も、これはやった方が良いと思うものは残して、それ以外を手放してあげてください。
手放した分だけ、あなたは楽さを受け取ることができます。心の中で、もうこれはいらない、と決めて、その思考や犠牲にお別れを告げてください。その代わりに、あなたがどうありたいのか、どういう風に過ごしたいのか、といった、あなたがより自然であろうとすることに、想いを向けてください。
例えば、今よりももっと親と距離を取る、ということを自分に許可してあげても良いかもしれません。親からの干渉に疲れているような感じがするのなら、距離を取ることで、その負担を軽くすることができます。親や周囲から抵抗のようなものを受けることもあるかもしれませんが、もし、あなたにとって、距離がある状態の方が良いと思えるのなら、あなたはあなた自身に、距離を取る、ということを許可してあげてください。
例えば、親の反応が気になって今まで避けていたことや、本当ややってみたかったけれども、やっていなかったようなことがあるのなら、トライすることを自分に許可してあげても良いかもしれません。自分はどうしたいのか? それを軸にして考えてみてください。犠牲をしていたり、親からネガティブな反応を引き出さないために色々と無理をしていたのなら、自分のやりたいことをやる、という方向に意識がなかなか回らなかったかもしれませんが、ここで改めて、自分はどうしたいだろうか、ということを自分に問いかけてみて、やりたいと思えることがあるのなら、そこでぜひ、トライしてみてください。
親に限らず、誰かのコントロールを強く受けているような気がする時、誰かのせいにするのではなく、自分を責めるのでもなく、私は何がしたいんだろう?、私はどうしたいんだろう?、と自分に問いかけていくことが、主体的に人生を選択していくための鍵になります。特に親からの干渉を強く感じているようなケースに関して、今回は掘り下げて書いてみました。読んでみて、何かしらお役に立つようなところがあるのなら幸いです。