困っている人や、悩んでいる人がいて、
その人を助けてあげたい、
という想いを持つことはあると思います。
私も心理カウンセラーをやっていて、
そういう想いは湧き上がってきますし、
だからこんなことをやっている、という一面もあります。
ただ、その時に忘れてはいけないことがあります。
その人が困っていたり、悩んでいることは、
その人のための問題なので、
誰かが代わりに解決する、というものではない、
ということです。
これは、助けられない、という意味ではないです。
その人がそこを乗り越えられるように、
周りの人たちにできる関わり方、というのは、たくさんあります。
例えば、ただそばにいて見ていてあげる、ということもそうですし、
その人が取り組んでいる課題に関して援助したり、
もし、何か知恵を持っているなら、それをアドバイスという形で与えたり、
その人の見本になってあげたり、応援してあげたり、などなど、
周りの人にできることはたくさんあります。
ただ、あくまでその課題に向き合うのは、本人です。
行き詰まりがあるなら、そこを乗り越えていくために、
歩いていくのも、本人です。
不安や恐怖を感じていたとしたら、
それに打ち勝つ勇気を持つことが求められるのは、本人です。
その人がいくら苦しんでいても、
代わりにその苦しみを負担してあげることはできないですし、
その人がいくら課題をクリアできなくて頭を悩ませていても、
代わりにその課題をクリアしてあげることはできないです。
現実的、表面的には、課題をクリアにしてあげる、
ということは可能かもしれません。
例えば、物理的な援助によって。
そういうケースも実際にあるとは思います。
ただ、心の内面にある課題については、
本人がやらないと、解決になりません。
外科手術のように、誰かが心の中にメスを入れて、
患部を切除する、なんてことは、できないんです。
仮にもし、できたとしても、それは、根本的な解決にはならないです。
なぜなら、その課題は、その人のために用意されたものだからです。
形を変えて、再び同類の課題が、その人の目の前に現れます。
そのときに、その心の外科医がそばにいなかったら、
その人はどっちみち、自力でその問題に立ち向かわなければならなくなります。
24時間その人の面倒を見れるのは、その人自身だけです。
私たちにできることは、助けること、ではないです。
どんなに能力があり、知恵があり、精神力があったとしても、
できることは助けること、ではなく、援助すること、です。
これは、心理カウンセラーでも一緒です。
ただ、ここを勘違いしてしまって、
「助けてあげられない」ということに
罪悪感を感じてしまい、
それが心の中で大きな痛みとなっていることがあります。
そんな痛みが心の中にある、ということはないでしょうか?
もし、その答えがYesであったなら、
もう、これ以上自分を責める必要はないですよ。
そのことで自分を責めている人ほど、
もっと自分はできたはずだ、ということを感じていると思います。
ただ、それは、助けられなかった、からダメ、
ということではないです。
その痛みは、あなたの可能性を示しています。
それは、あなたには、人を援助するための才能を
もっと伸ばすことができる、というサインです。
助けられなかった、ということばかり見つめて
自分を責めることを手放してみてください。
その代わりに、その自分の才能を発揮して、
周りにより良い影響を与えていくことができるとしたら、
どんなことをしていきたいだろう、って考えてみてください。
それが、その痛みを抜けていくための道しるべになります。