相手の考え方のようなものを押し付けられて、何か犠牲的にふるまわないといけないような状況になる感じです。
相手からの愛情や友情を失うことを怖れて、本当はしたくないのに、わがままに付き合ったり、相手の言い分を飲み込んでいたりすることはあるでしょうか?
嫌われたり、責められたりしたくないから、犠牲的なふるまいをしてしまうような感じです。こういった犠牲的なふるまいをしているような感覚があるときというのは、自分の心の中で自分自身のことを責めてしまうこともあるかもしれません。
ただ、本心ではこれはあんまりよくないんだろうなあ、ということを感じているとしたら、その人との関係性をちょっと見直した方がよいかもしれません。
もし、この犠牲をやめたらどうなってしまうと思っているでしょうか?
あんまり考えたくないことかもしれませんが、相手が求めてきていることについて、断る、ということをやっていくと、どんな結果が想像できるでしょうか?
今よりも状況が悪くなる怖れがでてくるかもしれませんが、その怖れの内容はどんなものでしょうか?
例えば、断った後で罪悪感を感じることになるかもしれません。わがままを断る自分の方がわがままな気がしてきて、なんだか自分の方が間違っているような、自分の方が悪いような気がしてくるような感じです。断ることに対して罪悪感のようなものがあるケースって多いと思います。
他には例えば、嫌われる、という結果が想像できるかもしれません。言い分を通そうしてくる相手に対して、断る、という態度をとった結果、怒られたり、人格否定されるようなことを言われたり、拒絶されたりするような感じです。
結局断りきれない、という未来も想像できるかもしれません。相手に言い負かされた結果、断っている自分の方が間違っている気がして、それだったら、最初から断らなければよかった、と後悔してしまうような感じです。
犠牲的になってしまうことの裏側には、こういった自分の心の中にある感情がベースになっていて、断ることに対しての抵抗感のようなものがある、というようになっています。「断ればいいのに」なんて他の人から言われたことがある方もおられるかもしれませんが、そんなとき、そうは言ってもそんな簡単には断れないよ、なんて思っちゃったこともあるかもしれませんね。
断るということに対して相手がどんな反応をするかは相手次第なのですが、ここで大切なのは、自分の内面にどんな感情があって、犠牲的にふるまってしまっているのか、という部分です。本当の自分を出したら嫌われるかもしれない、とか、自分には価値がないから、犠牲的にふるまってでも相手に好かれるようなことをして、関係性を維持していくようなことをせねばならぬ、といった考えや感覚のようなものが心の底の方にあると、この犠牲から抜け出すことが難しくなります。
わがままに振り回される、といったことの裏側に、そういった抵抗感のようなものが自分の中にあるような感じがしたなら、その部分をちょっと見直した方が良いです。
罪悪感の例を最初の方に書きましたが、この、わがままを聞かないとなんだか申し訳ないような感覚、というのは、自分自身に対する評価が低いところに理由の一つがあります。自分のことが無価値に感じられて、そんな私でも付き合ってくれている相手に、何かしないと気が済まないような感覚です。
それがあるときに、相手にわがままを言われて、そこにこたえられない自分が申し訳ない、、、、、これが罪悪感になってくるのですが、ちょっとおかしくないでしょうか?
相手と自分の立場が入れ替わったとしたら、どう感じますか?
わがままを言うのが自分で、それを聞いているのが相手で。相手がわがままを断ってくる、というシーンを想像してみてほしいのですが、断る、ということはそんなに悪いことでしょうか?なんだかちょっと違うな、という感じがしたなら、一歩前に進んでいます。
自分のわがままは許せないけど、相手のわがままは聞かないといけない、のはなぜでしょうか?
相手が上で、自分が下だから、でしょうか?
だとしたら、それはなぜでしょうか?
なんかおかしいなって思ってもらいたいです。自分の中に、犠牲的な行為をとることが当たり前のようになっている部分があって、それがこの違和感にマヒしてしまうような部分を作り出しています。違和感に気付いたなら、そもそも、この犠牲はやめても良いのではなかろうか、という風に感じてもらいたいです。
犠牲をやめると関係性は変わります。相手が上で自分が下、という関係性を持ってくれないとイヤ、と思ってくる相手は自分から離れていきますが、その関係性は自分にとって本当に必要でしょうか?
自分には価値がない、という思い込みがあると、自分を下だと扱ってしまうような態度をとってしまいがちですが、そういう思い込みを持ちやすい人にとって求められてくるのは、自分の価値に気付く、という部分です。そのために重要になってくるのは、自分のことを大切に扱ってくれる人とのつながりであって、自分を低く扱う人とのつながり、ではないです。
自分を低く扱う人とのつながりから受け取れるのは、やっぱり自分には価値がないんだ、という感覚のリフレインです。違和感に気付いたのなら、もう、そのつながりからは卒業して、自分のことを大切に扱ってくれる人とのつながりを優先していく、もしくは、そういった関係性がまだないなら、そういった関係性を求めていく、という方向を向くようにしていった方が良いです。
相手が精神的に幼くて、依存的なふるまいが日常になっているようであれば、程度にスルーするくらいで良いです。わがままを常に聞いてあげようとするのではなくて、応えられないことは断るし、できることなら聞いてあげることもある、というくらいがちょうど良いです。自分も相手に少しならわがままも言えるし、それを断られても相手側の事情を考慮できる、というくらいが自然です。それがどちらか一方に傾いているような関係性なら、ちょっと不自然です。そのアンバランスさを察知して、何かおかしいなって思ってもらいたいです。相手のペースに巻き込まれてその関係性が当たり前なんだと思ってしまっているのであれば、その状況に違和感を感じることが大切です。
ただ、一方的にわがままを聞いてあげないといけないような状況も、中にはあると思っています。とても辛い環境ですが、、、。自分のことを低く扱っているわけではなかったとしても、その環境下である程度やっていかないといけない、ということであれば、まずその環境からの抜け出し方を考える、ということと、それも難しいようであれば、一人でそれを抱えようとするのではなく、誰かのサポートを受ける、ということをお勧めします。話を聞いてもらうだけで少し楽になれる部分がありますし、具体的な話を聞いてもらう中で、自分では思いつかなかった助言を受け取るということも、そこでは出てきます。一人では抱えないこと、というのが辛い環境ではとても大切になってきます。
誰かに振り回されるように感じるときは、自分の中に自分自身のことを低く扱っている部分がないか、ちょっと心の中をチェックしてみてください。低く扱う部分があると、自分を振り回すような人を引き寄せてしまう、ということも起きやすいです。