誰かを愛する、というときに、何か犠牲をしている感覚があったり、
義務感のようなものを感じているとしたら、
それを形作っている自分の思い込みが、自分の内側にあります。
そのとき、どんな感情を感じているでしょうか?
期待しないでほしいという感じ、めんどくさいという感じ、
怒り、重たい感じ、色々ありますが、そのときに自分が感じている感情の裏側に、
自分がどんな思考をしているのかが隠れています。
相手から期待を感じると、応えてあげたいという部分と、
期待しないでほしいという部分の両方が出てくると、
この期待しないでほしい、という抵抗の部分から、
相手を愛する、ということをとても面倒に感じたり、負担に感じたりします。
例えば、自己犠牲的な部分がないと愛ではない、
と考えているとしたら、自分が相手を愛するときも、
何か自己犠牲が必要だと感じます。
自分の両親を見て、こんな風に愛してほしかった、
あんな風に愛してほしかった、そうしてくれなかった両親は愛する、
ということに関して、全然充分ではなかった、
という感じで、愛するということに関して、
誰かにダメ出しをしていると、これも自分にとって負担になります。
なぜなら、自分が愛するときに、自分がちゃんと愛せているかについて、
自分のダメ出しチェックを自分が受けるからです。
愛する、ということに関して、ネガティブな感情を呼び起こすような
思考が自分の内側にあると、彼や彼女に対して、愛を送る、というのが
とても自分にとって大変なことであるように感じたり、
負担になりますし、相手に怒りを感じることも出てきます。
これは相手が悪いのでもなく、自分が悪いのでもなく、
自分の思考がその感情を作り上げている、ということに気付くことが
大切なポイントです。
気付いた思考は手放すことが出来ます。
そして、それを手放した時、自分自身も自分に関わる周囲の人たちも、
両方とも楽になれます。
自分の内側にある思考は、自分で決めることが出来るもので、
これが、自分が感じる感情のルーツになっています。
これは選択なのですが、もし自分が普段感じる感情や感覚の部分を
より良いものに変容させていきたい場合は、この思考を手放す、思考を変える、
ということが求められてきます。
愛する、ということに関しても、これは当てはまります。
特に自分のパートナーともっと深くつながりたい、とか、
一緒に成長していきたい、というときには、
この自分の思考の部分をブラッシュアップしていく、ということを
意識してみて下さい。