癒着から生まれる犠牲

投稿日:2012年5月24日      更新日:

自分にとってとても身近な人、
例えば、父親、母親、彼氏、彼女などなど、
そういう人に対して癒着しているような部分、
がでてくることがあります。

癒着というのは、自分とその人との間の、
境界線があいまいになっている感じのことです。

恋愛関係の中で、この部分が出てくると、
自分が相手に対して、とても犠牲的になって、
相手を助けるために、何でもしてあげる感じになったりもします。

自分と相手の境界線があいまいになっていて、
本来であれば、相手が自力でやらなければならないことも、
代わりに自分がやってあげたくなったりします。
それによって、相手が成長できなくなったりもしますし、
自分自身がそれで辛くなってくる感じにもなります。

もし、癒着があると感じるのなら、
その癒着している部分について、
どうして、自分はその部分を手放したくないって思っているか、
見つめてみてください。

相手に対して愛情の部分から、癒着を選んでいる、
という部分もあると思います。
ただ、もう一つ深い部分を見ていくと、
癒着によって、自分の中で満たされるエゴの部分があるということに
気付くことができます。

どんなエゴがあるかは、人によって異なるかもしれませんが、
例えば、相手を助けることによって、
自分自身の価値を感じたい、という部分であったり、
相手からの愛が欲しいために、やってしまっているという部分だったり、
そこには、あまり自分でも見たくないような、期待の部分、
が隠れていることがあります。

ただ、ここで気付いてほしいのは、
癒着がある状態よりも、癒着を手放した状態の方が、
より自然に相手とつながることができて、
それによって、より絆を深めることができる、という部分です。

もし、癒着があると感じるなら、
相手との絆を深めていくためにも、
癒着や犠牲や期待の部分を手放す、という選択をしてみてください。

癒着が強いほどに、その選択をすることには、
強い抵抗感がでてくるかもしれません。
その場合は、自分が癒着することが、本当に相手や自分のためになっているか、
深く見つめてみてください。

そして、もし、癒着がないほうが、お互いにとって良いと思えるなら、
それを手放していく、ということにチャレンジしてみてください。

癒着が手放せた度合いだけ、
その関係性に楽さや、愛情、絆、など、
受け取れる部分が増えていきます。

そのことを、ぜひ、体験してもらいたい、と思っています。

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カテゴリ-心の悩み

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