自分のことを心の中で強く責めているとき、同じような内容で、実は他の人のことも責めている、ということがあります。
何か失敗をしてしまったと感じるときや、誰かを傷つけてしまったように感じるとき、心の中で自分のことを強く責める、ということは誰しもあるものかもしれません。このとき、過去に自分が誰かを責めた分だけ、自分自身のことを責める、というパターンが心の中に潜んでいることがあります。
小さい頃、両親からしてもらえなかったことや、両親からされたことで、何かとても傷ついたと感じるようなことがあったときに、心の中で両親を責めたという経験があったとします。ここで良くあるパターンとしては、心の中で両親を責めていることと、同じようなことを自分がしてしまったときに、自分自身を責める、という感じになるというものです。
両親に対しての心の中での攻撃、というのは、非常に強いものになることがあります。親に対して、どうしても許せない、と思ったことや、今でも腹が立つこと、というのはないでしょうか?
私自身もそういう部分はあり、過去には強く責めていたこともあります。メルマガの方には細かいことも書きましたが、自分が大人になり、親に対して責める気持ちを手放していき、そして、今度は自分が親の立場になり、子供たちを見た時に、私にも至らない点はたくさんあるかもしれないな、なんて今は思っています。
親にされたことや、してもらえなかったこと、というのは過去のことかもしれません。ただ、その体験や、そのときに感じた苦しみや怒りを今でも心の中で抱えていると、その痛みは、今も心の中で繰り返されることになりますので、過去のこと、という風にはならず、形を変えて、現実の中に出てくることがあります。それが、自分がまるで両親の立場で、今度は、自分が責められる側にような立場となって、です。それが再現されると、心の中で、自分自身のことを責めるような感じになります。
一番効果的なのは、自分自身や、両親のことを責めている思考を、もっとより良いものに変化させることです。
そのときの状況を振り返って、被害者と加害者だけがいる風景を、別の解釈ができるように理解を深めていくことが出来れば、自分が体験する感情も変化していきます。
親は加害者ではなく、親の中にも痛みがあって、充分に愛情が送れなかったのかもしれません。自分自身も本当は、親を責めたいのではなく、何か親の力になってあげたかったのだけれども、幼かったために、力になってあげることができなくて、そこで心を閉ざしてしまっていたのかもしれません。
ネガティブな見方しかできなかったことも、その時の状況に別の角度から光を当てることで、親や自分自身のことを、被害者でも加害者でもない、という理解に進めることが出来たとき、自分自身をそのときの状況から解き放つことができるようになります。
罪悪感。長年抱えているものほど、その存在を忘れて心の中の奥深くに根付いているような感じになりがちなものかもしれません。親子関係がルーツになっているものであれば、今度は自分が親となった時に、別の形で蘇ってくることは、よくあること。心の中で深く根付いているものほど、自分にとっては手放し難く、心の中で地雷のようになり、ときにあることがきっかけになってどうしてもイライラしてしまったり、どうしても人に強く当たってしまうようなこともありがちなもの。
自分が誰かのことを強く責めているときに、相手のことはさておき、自分の中でなんでそんなに強く人を責める気持ちがでてきているのかを掘り下げてみると、自分の心の中に根付いているそんな地雷に気づけることもあるかもしれません。
人によっては、特定の誰かというより、もっと大きな存在、、、、
例えば、神様や世界を責めている、というパターンもあります。不条理さや不公平さ、世界の仕組みそのもの、そう言ったものに対して疑問を持ち、そんな状態にした誰か(=世界そのものや、神様的な存在)を心の中で強く責める、というもの。これをすると、無意識のうちに、こんな自分が神様や世界に愛されるわけがない、という認識になります。
それが間違っていると言いたいわけではないです。正しいとか間違っているではなく、それぞれの人の選択、あるいは、それぞれの人の生き方、の話かと思います。ただ、そのことと自分の心の中に根付いている罪悪感は心の中で密接にくっついていて、神様は許さないけど、自分のことは許す、というのは、わりと無理です。そうすると、相手を絶対に許さないのと同時に、自分自身のことも絶対に許せない、ということで、自分自身が罪悪感に起因する苦しみを抱えつづける、ということに結果的になります。それもまた、個人の自由、なのかもしれませんが。
ただ、もし、自分の中にある罪悪感と誰かを責める気持ちが一緒になっていることに気づけたのなら、その誰かを責める気持ちを手放してあげるという選択肢もあるということも、覚えておいてもらえると、幸いです。