
馬鹿にされてる気がするとき、心の中で何が起きているのか。そう感じるときの背景にある心理について掘り下げています。
心理状態としては自分が誰かを馬鹿にしているのが別の形で返ってきている、もしくは、心の中で自分自身の尊厳に自分で傷をつけている部分を他の人からつつかれている、という2つの可能性があるかもしれません。
【目次】
・馬鹿にされてる気がするときに心の中で起きていること
・私が馬鹿にされてる気がしたときに感じていたこととそのときの心理
・馬鹿にされてる気がする感情が繰り返される心の仕組みとそこから抜け出すプロセス
・馬鹿にしてくる相手とそれを感じる自分の心理のプロセスの違い
・自分の心とどう向き合うか
馬鹿にされてる気がするときに心の中で起きていること

人から馬鹿にされて、嫌な気持ちになるようなことはあるでしょうか?
馬鹿にされるように感じる体験というのは、とてもストレスを感じるものかもしれません。
職場で馬鹿にするようなことを言われたり、友人の言動で馬鹿にされたような気分になるなど、対人関係の中で人から馬鹿にされるというのには、色んなパターンがあるかもしれません。
そういった嫌な扱いをしてくるような人が、自分が普段関わるような人間関係の中にいる場合、その人と関わる機会があるたびに、うんざりするような気持ちになることもあるかもしれません。
私自身は昔、馬鹿にされるのがすごく嫌で、ちょっとしたことでもそう受け取ってしまうというような、過剰反応をしていた時もあるくらいだったのですが、もし、同じような方がおられるのなら、参考になることをお伝えできるのではないか、と思っています。
馬鹿にされるのが好きな人、もしくは、全く気にならない人、というのは流石にいないかもしれません。
ただ、周りから馬鹿にされる、という体験がなんだか多いような気がする人の場合、心の中で誰かを馬鹿にしている、もしくは、ダメ出しをしている、という部分がないかチェックしてみたほうが良いかもしれません。
心の中でやっていることは、他の人からは見えなくても、自分自身がそれで損をしている、ということがあります。
この、心の中で誰かのことを馬鹿にする、というのもそうです。
私が馬鹿にされてる気がしたときに感じていたこととそのときの心理

私は、小さい頃、周りから馬鹿にされている、ということに対して、すごく敏感に反応する子供でした。
家族から馬鹿にされているかどうか、とか、友達から馬鹿にされているかどうか、というのを常にチェックしていて、そのセンサーにひっかかるや否や、怒りが爆発する、という感じでした。
その反対に、自分の心の中で周りを馬鹿にするということをやっていました。
特に家族に対して、大切にされていないと感じるときほど、家族との間に壁を作り、相手に対して何かダメなところを探して、そこを心の中で見下して批判する、という感じです。
その反対に、相手から自分のダメなところを笑われたり、馬鹿にされてる気がすると、普段自分が心の中でやっていることが、時間差で全部自分に跳ね返ってくるので、ものすごく辛くなるんですね。
それがあまりにも辛いので、自己防衛のために怒りがわきあがってくる、という感じでしたが、これは、もともと自分が心の中で誰かを馬鹿にしている、というのが原因でした。
直接馬鹿にしていた相手から、馬鹿にされるというのが自分に返ってくる、というわかりやすい形ではなく、誰かを馬鹿にすると、別の形で、しかも時間差があって、しかも馬鹿にしていた人とは全然関係のない人からそれが自分に返ってきていたので、この因果関係に気づいたのは、心理学を学び始めてからだいぶたった後でした。
馬鹿にされてる気がする感情が繰り返される心の仕組みとそこから抜け出すプロセス

心理学に、投影の法則、というのがあります。
自分の心の一部を相手の中に映し出す、というものですが、私が体験したのは、それとはまたちょっと違うパターンのもので、自分が周囲に発信していることが、自分に返ってくる、というものでした。
そのことに気づけなかった私は、自分を馬鹿にしてくる相手を批判し、(つまり心の中で馬鹿にしかえした)、そしてそれがまた時間差をつけて別の形で自分に返ってくる、というのが無限にループするような世界で生きていたといえるかもしれません。
ただ、その部分を手放していくにしたがって、自分が馬鹿にされている、ということにとらわれなくなっていき、また、上記の因果関係に従って、馬鹿にされてる気がすることもなくなっていきました。
無限ループ。気づけない限り永遠に抜け出せない、なんて考えると、ちょっと怖い気もします。
ただ、心理学を学んでいくに従って私が理解できたことなのですが、同じような嫌な体験が繰り返されるようなパターンが人生の中に垣間見える場合には、これと近しい無限ループが発生していることがあります。
といっても、こういう場合には不思議なことに、「あなたは今おかしな状態に陥っていますよ」というサインのようなものが何かしらその人の身に必ずやってきます。
身近に自分のことを大切にしてくれている人がいる場合は、その人が気づいて、ひとこと物申してくれたり(他人から見た方がよく見えるということは往々にしてあります)、私みたいに心理学を学んでいく過程で得た様々な気づきのなかにそれが含まれていたり、お子さんがいらっしゃる場合は、お子さんに注意していることが自分にそのまんまリターンされてきたり(XXしなさいと注意したら、別のことで自分がXXしていないのに気づいて焦るなど)、そのパターンは様々です。
これを無視すると、これまで通りのループがただ回り続けますが、無視せずにそのサインを理解して必要な対処を行えば、ループから必ず抜け出すことができます。
馬鹿にしてくる相手とそれを感じる自分の心理のプロセスの違い

ただ、馬鹿にされたと感じるときは大抵、相手を変えたい、という衝動が往々にしてやってきます。
自分を馬鹿にする相手が間違っているわけですから、間違っていることを発言した相手を修正したくなります。
まずは、謝ってもらい、認識を変えてもらい、二度とそんなことを言わないようにしてやりたくなりますが、上記の因果関係からすると、そんなことをしても、あまり効果的ではないです。
相手が自分を馬鹿にした理由。たぶん、相手は相手で別のループに生きています。
人を馬鹿にするのなんて、さぞ良い気分がするような気がするかもしれませんが、たぶん、ろくなもんじゃないです。(私が人を馬鹿にするループで苦しんだからこそ、そう思えるだけかもしれませんが。)ただ、それは相手の問題です。
あなたが馬鹿にされた理由。表面的にはあなたに何か身体的な特徴があったり、人と比べると劣っているように見えるところがあったり、センスが悪かったり、仕事に不出来な部分があったりしたのかもしれませんが、本当の理由が、あなたが別の誰かをいつかどこかで馬鹿にしていて、それが自分に返ってきているだけなのだとしたら、馬鹿にされたということの意味あいが全く変わってきます。
自分の心とどう向き合うか

ただ、私はこんな風にも思っています。
「心の中で誰も馬鹿にしていなかったとしても、誰からも馬鹿にされなくなる、というわけではない。」
馬鹿にすることをやめたとしても、今まで馬鹿にし続けてきたものの残りカスのようなものがあって、それが自分に返ってくることがあります。ここで、相手のことを心の中で見下し返したら、もちろんまた返ってきます。
辛いですがやるべきことは非常にシンプルで、手放し続ける、です。
あと、誰も馬鹿にしていなかったとしても、そういう試練のようなものを抱えている場合、心の中で誰も馬鹿にしていないのに自分を下に見る人にちょくちょく出会ってしまう、なんていうケースもあると思っています。
そういう場合には、自分が自分のことをどんな風に扱っているか、ということが重要です。
誰かから見下されるような扱いをされたことに対して、自分自身の心の中の内面の反応として「は?なーにをいってんだか?」などとどこ吹く風のような、言われたことを完全に気にもしないような受け止め方、別の言い方をすると、相手のネガティブな扱いに心の中で同意しないのであれば、そもそもネガティブな感情を感じないです。
ただ、そうではない場合、自分自身がその扱いをされるような存在であることに、ある程度は同意した結果、心の中で自分自身の尊厳に自分で傷をつけた、ということを意味します。
このあたりの話に関しては、以下の記事に書いています。結構、深堀りして書いていますので、参考になればと思います。
このパターンの場合にも、間違っていることを発言した相手に対して
「まずは、謝ってもらい、認識を変えてもらい、二度とそんなことを言わないように、、、、」
というのは、意味がないとまでは言わないですが、あまり効果的ではありません。
試練のようなものを抱えているのであれば、たとえその誰かを黙らせたとしても、それが一定の効果を発揮して静かな時が続いていたとしても、しばらくすると、また別の誰かが何かを言いだすかもしれません。
他人を変えようとするのではなく、自分自身のことをどう扱うのか、ということがもっとも大切です。
馬鹿にされる、というのと少し近いニュアンスのものとして、雑に扱われる、というものがあります。
大切に扱われないことで何か相手から下に見られているような気持ちになったり、あまりマナーが良いとは言えないような振る舞いをする人との関わりで憂鬱な気持ちになったりなど、雑に扱われると感じるのにも色んなパターンはあるかもしれません。
そんな雑に扱われていると感じたときの話と、そういったときの対処法について掘り下げて書いた記事がありますので、参考になればと思います。
馬鹿にされてる気がしたとき、自分自身のなかで自己否定している部分を強く刺激されて、馬鹿にされたことに関して、認めたくないけれども認めないわけにはいかない、と思えてくることもあるかもしれませんし、自己否定が強い方が、馬鹿にされたときのダメージも大きくなるものかもしれません。
ここで大切なのは、自己否定を手放すということ。
自己否定というのは事実というよりも解釈であり、自分の性質を自分の心の中でどう受け止めるか、ということにはいろんな選択肢があって、その複数ある選択肢の中から、自由に選択することが出来るもの。
ただ、自己否定に強くとらわれると、それがとても重たい事実のように受け止めてしまうことがあり、それですごく辛くなることがあります。
自己否定を手放すときのやり方を、掘り下げて具体的に書いている記事がありますので、参考にしてもらえればと思います。
自分自身を縛っているその自己否定の裏には執着心が隠れているので、その執着を手放すことが、自己否定を和らげていくための鍵になってきます。
馬鹿にされてる気がするときの心理とその対処方法を、私なりに掘り下げて書きました。何かしらお役に立つところがあるのなら、幸いです。
この記事で学べること(要点まとめ)
・馬鹿にされてる心理の背景に、心の中で自分が誰かを馬鹿にしている、という心理が隠れている可能性がある。
・心の中で自分が誰かを馬鹿にすると、後で形を変えてそれが自分に跳ね返ってくることがある。
・馬鹿にされたと感じるとき相手を変えたくなるが、もし、自分が誰かを馬鹿にしているのが跳ね返ってきている因果があるなら、相手を変えようとするのは効果的ではない。
・馬鹿にされてると感じるとき、自分の心とどう向き合うかが大切であり、もし、心の中で誰かを馬鹿にしているところがあるのなら、それは手放した方が良い。
・もし、馬鹿にされたことで屈辱感を感じたようなら、それは自分自身の尊厳に自分で傷をつけた可能性がある。
読むたびに違った気づきがあるかもしれません。ふと気になったときに、また読み返してもらうのもおすすめです。