主体的にさぼる

投稿日:2019年10月29日      更新日:

 

さぼる、という言葉にはどういう印象があるでしょうか?

怠け者、自分に甘い、楽をしている、ずるい、など、どちらかというと良くないイメージがあるという人もいれば、楽そう、辛くなさそう、そういう部分も必要、など、ネガティブではない印象を持つ人もいるかもしれません。

何事もバランスが大切なのかもしれませんが、自分を追い込みがちな人にとっては、ある意味、さぼる、という部分もときに求められるかもしれません。

仕事を真面目にするというのはとても価値の高いこと、と私は思っています。良い仕事をするためには、ただ真面目にするだけではなく、ときに自分を追い込むといったことも、求められるかもしれません。

ただ、それらはあくまで何かを達成するための手段ややり方であって、目的そのものではないかもしれません。やりすぎて心身を病んでしまったり、他のことがなおざりになってしまったりすると、気がついたら本当に大切なことや、本来の目的を忘れて、ただ愚直に目の前の仕事に没頭することだけを大切にしてしまっていた、なんてこともあるかもしれません。

メリハリをつけるということ。仕事をばりばりこなしていく、という部分と、時に力を抜く、という部分の両面があって、仕事面におけるアクセルとブレーキのバランスが取れます。心身を休める、という要素もないと、長い目で見たときに全体的なパフォーマンスが低下している、なんていうことになったりします。

 

 

ただ、自分を追い込みがちな人だったり、真面目な人というのは、この、休む、というのが苦手だったりします。何か罪悪感のようなものがあって、休むことに抵抗感が出てしまい、限界が来るまでアクセルを踏み続けてしまいがち、になってしまうことがあります。

環境が変わって、忙しかったりプレッシャーがとても強かったりするような状況になったときも、メリハリは大切です。それほど負荷が高くない状況であれば、アクセルを踏みがちな傾向があっても、なんとかなりますが、負荷が高くなりがちな環境に置かれたときに、そういう傾向がある人は、心身になかなか抜けないダメージのようなものを蓄積させてしまうことがあります。

真面目な人ほど、休むということを自分自身に許可してあげる、ということが大切です。これは休暇をとる、という意味だけではなく、疲れがたまっているように感じるなら早めに帰る、とか、少し仕事のペースを落とす、とか、全部自分でやろうとするのではなく他の人に任せられる仕事を切り出す、とか、休憩時間に仕事をする癖をやめてみる、とか、きつい仕事を率先して取りに行く癖をやめてみる、など、自分に負荷がかかりすぎないようにバランスをとる、ということも含めてます。

他の人がやっていても気にならないとしても、いざそれを自分がするとなると、気がひけるような感じがするでしょうか?
ずるいとまではいかなくとも、まだ頑張れるのに全力を出し切っていないような感じがするでしょうか?

まだまだ余力があるように感じていたり、やりたい気持ちがあったり、全力を注ぐことを意識的に選択している感じであれば、アクセル全開、で何も問題はないと思いますし、そういうときは、私もそうしています。ただ、何か疲労感や辛さやストレスがあったり、やりたいというよりも、やらなければならない気持ちでやっていたり、主体的というよりも、どこか状況に流されていて、仕方なく頑張らなきゃいけない感じでやっていることが続いているようであれば、メリハリをつける、ということをちょっと意識した方が良いかもしれせん。

 

 

思考停止して、盲目的に目の前にあるものだけに意識を集中させるのではなく、肩の力を抜いて、そもそも何のためにアクセルを踏む必要があるのかを考えてみること。

例えば、「今は休むことができないからとりあえず頑張る」、という感じだと、罪悪感や義務感、あるいは、危機感のようなものでアクセルを踏み続けているかもしれません。それは望んでやっているというより、やらされている仕事、というのに近いかもしれません。それは、忙しい状況に支配されている状態であり、やりたくもない仕事を無理やりやらされている被害者のような感覚が出てくるかもしれません。

仕事の負荷がきついときほど、自分自身に休むことを許可する、ということを意識することがとても大切です。罪悪感があるとしたら、自分が休むということに自分なりに意味を持たせてあげてみて下さい。これは一つの考え方ですが、ある意味では、休むことも仕事の一つです。

もし、慢性的にストレスがたまっているかのような状況が続いているとしたら、ちょっと今の状況を客観的にひいてみてみても良いかもしれません。

例えば、自分が本当に欲しいものが何で、その目的に集中するとしたら、今自分はアクセルを踏むべきか、それとも、ブレーキを踏むべきか、あるいは、ギブアップするべきか、を考えてみてもよいかもしれません。

主体的にそういった選択ができないと、ある意味では、自分の人生のハンドルを誰かに預けているような状態になってしまうこともあります。自分なりの基準と照らし合わせて、今どういう選択をしていくのかを、主体的に考えてみること。さぼる、というのも、その中で出てくる一つの選択肢かもしれない、なんて思っています。

 

関連記事

衰えを感じたとき

私自身が何か衰えを感じた時にどんなことをしているのか、というのを今回は書いてみようと思っています。いつもの記事に書いているような、心理学的にどう、というのとはちょっと違っていて、みなさんに提案したいと …

自分の魅力が感じられないとき

自分に魅力がない、と思えるということは、自分の魅力に気づいてない、ということ。自分の魅力の部分を意識的に見ることで「心の筋肉」のようなものをトレーニングするか、自己否定が強いのならその部分を手放すこと …

依存的な人を遠ざけたくなる感情

人から依存されているように感じたときに、それが重たく感じられたり、嫌悪感を感じたりしたようなことはあるでしょうか? 依存される側がネガティブな感情を感じるケースとしては、例えば、こんなものがあるかもし …

人生に行き詰まりを感じたときの抜け方

人生行き詰まりを感じたときの抜け方としては、「これだけは嫌」と思えるようなことにあえて取り組む、ということが実は効果的です。次のステップに進もうとするときに、自分の成長につながるようなことに限って、心 …

過去に経験した嫌な記憶の扱い方

普段は忘れているけれども、ふとしたときに思い出す過去の嫌な記憶。疲れているときに限って、そういったことを思い出しやすい、という人もいたり、人によっては、普段忘れているというより、いつも思い出す、という …

カテゴリ-心の悩み

執筆者:

おすすめ記事




イライラしてる人との接し方




雑に扱われていると感じたらーその対処法と人の心理




馬鹿にされてる気がするときの心理とその対処方法




人を試すようなことをしてしまう




体が言うことを聞かないときの心理とその対処法




責められてる気がするときの心理とその対処法




好きな人を忘れる方法




屈辱的な思いを感じたとき




一人で頑張ってしまいがちな人




人から評価されたくない




裏切られた心の傷ー信じていた人に裏切られた時




特別な存在になりたい、という心理の扱い方




人から嫌われてるのが辛いとき




利用されたと感じた時




昔の嫌なことを思い出す心理とその対処法




依存的な人を遠ざけたくなる感情