衰えを感じたときはそれに抵抗しようとするよりも、衰えが出ていることを受け入れた上で、何かしら無理が生じているところに手放せるものがないか見直してみる、というのがいいんじゃないかな、と私は最近考えています。
手放した分だけ余裕のようなものが生まれます。例えば、それを使って新しいことを始めたり、新たな習慣やスキルなどを身に付けたりすることができるので、その余裕分は、自分自身を成長させていくための白地として活かすことができのではないか、というアイデアです。
成長期には何かを手放すとか考えなくても、伸び代という白地を使って成長のためのアクションができます。ただ、衰えを感じ始めた時には、自分自身に伸び代がまだ残っているのかを考えるよりも、別のものを使うという選択肢もあってよいかもしれません。その一つとして、手放す、というのもありなのではないかなと最近思っています。
衰えを感じるとき、というと、例えばこんな感じかもしれません。
・すでに限界だというのに仕事や責任をさらに上積みされるようなとき、それでも昔は根性で乗り越えていけたが、今や体がついてこなくなった。
・そこまでの無理をしているつもりはないのに、なぜか疲労や辛さを感じるようになった。
・集中力・持続力・スピードなど、自分自身のパフォーマンスの低下をひしひしと感じるようになった。
・新しいことにチャレンジするのが辛い。心が守りに入ってきているのを感じるようになった。
気持ちだけでもできるだけ若くあろうとする、というやり方もあるかもしれません。こんなことではいけないと自分にカツを入れる、というやり方もあるかもしれませんね。どんなやり方であれ、何かしらパワーが内側から湧き上がってくる感じがあるのであれば、ありなのかなあ、なんて思っています。
ただ、何をするにしても、老体に鞭を打つような感じにはならない方がよいかもしれません。体と心から「もう無理」というサインが何かしら出ているのに、その声を無視して突っ走ろうとしても、体と心から急ブレーキがかかってびっくりすることにもなりかねないかも、なんて思っています。
体と心の声を無視するよりも、それらに耳を傾けてみたときにどんな答えが返ってくるのかを参考にして、どこに無理があるのかをセルフチェックしてみて、無理があるところを無理が生じないように何かを手放す、というのもありなのではないか、なんて思っています。
よければ、過去に書いた以下の記事を参考にしてみてください。
私自身の体験としては、衰えを感じた時にいろんなことに対するモチベーションが急落したことがあります。なんでこんなにモチベーションが落ちているのか、というのをよく見てみた時に、絶望に似た感覚が心の中に隠れていて、その絶望の中身をよく見てみると、自分自身が老いていくことや、死に近づいていくことへの怖れのようなものを強烈に感じていた、ということに気づいたことがあります。それに気づいた時に
「そりゃあモチベーションも落ちるよな。」
と、なんだか腑に落ちた記憶があります。
あくまでこれは私の個人的な考え方ですが、衰えや老いというのは、死に近づいていく自然なプロセスの中の一つだと捉えています。どんな人であれ最後にはそこに向かい、終わりを迎えます。そのプロセスを否定するのではなく、受け取って感じて消化していくのがよいのではないか、なんてその時に思いました。ちょっと小難しいことをいっているかもしれませんが、自分の心の内側を見た時に、生を感じている部分と、死を感じている部分の両方があって、この2つを自分の内側で統合していけるように思いました。生にしがみついて、死を恐れるのではなく、両方を自分の人生に練りこんでいき、そのダイナミズムを感じる、といった感じのイメージを持った時に、すっと受け入れることができて、モチベーションが復活した、という体験をしたことがあります。
もし参考になれば、、、、と思いつつも、私個人の感覚的なところが非常に強いものをあえて文章にしたので、他の人からすると何を言っているのかよくわからない感じになっている気もしており、あんまり参考にはならないかも、なんてことを書いていて思いました。もっと伝わる書き方ができると良いのですが。
衰えを感じた時にどうしていくのがよいのだろうか、ということで、最近私が思っているアイデアの部分を書いてみました。何かしら参考になれば、幸いです。
いつもと違って、アイデアベースの話を書いたということもあり、読まれた方がどう感じられるものなのか、ちょっと気になっています。ご意見やご感想など、コメントやブクマなどに書いていただければ筆者はすごく嬉しいです。