自分ルール

投稿日:2019年5月21日      更新日:

 

「自分はどういう風に扱われるべきか」
そんなことを自分の中で決めているルールのようなものはあるでしょうか?

人間関係の中で怒りを感じたようなときに、その怒りの理由をじっくりと振り返ってみたら、自分の中で決めているルールのようなものが破られていた、なんていうケースがないか思い返して見ると、何か思い当たるようなものはあるでしょうか?
人間関係の中で怒りの理由となる自分ルールのようなもの。普段は気づきにくいものかもしれませんが、じっくり振り返って見ると、何かしら思い当たるところがでてくるかもしれませんし、その中には、自分の中では当然のことと思っていても、そのルールを言葉にした上で客観的にみて見ると、自分でもこれはおかしいかも、なんて思えるものもあるかもしれません。

例えば、自分が疲れているときは、もっとパートナーや家族は自分に優しくするべきだ、というルールがあるとします。パートナーの方がもっと疲れているときも関係なく、パートナーが病気で寝込んでいるときも関係なく、このルールは守られるべきだ、って思っているようなところがあるな、なんていうことに気づけたとしたら、、、
なんだか、自分で自分のことをわがままな人間のように思えてきてしまうかもしれません。

例えば、自分が怒っているときは、周囲の人たちはその理由を察するべきだ、というルールがあるとします。自分から何も言わないでも、相手は自発的に謝って、間違っているところを率先して変えていくべきで、それ以外はどんな的外れな行動もNG、って思っているようなところがあるな、なんていうことに気づけたとしたら、、、、
なんだか、自分でもかなり厳しいルールを設定しているように思えてくるかもしれません。

客観的にみて、もし同じルールを相手から自分に対して強要されたとしたら、うんざりするな、なんて思えるのだとしたら、そのルールにはどこか無理があるのかもしれません。

思い返してみた時に色んなルールが出てくるかもしれませんが、ここで大切なのは、そのルールを作っているものが何か、という部分です。そのルールがないと困る自分がいる、のだとしたらある意味では、そのルールを破られると傷ついてしまう自分がいる、ということかもしれません。もしそうだとしたら、その傷の部分がとても大切な意味をもってきます。

ルールが破られて怒りを感じた時、相手は正しくないことをしていて私は何も間違っていない、なんて思えるような時、その相手の正しくない行動によって傷つけられたのは、自分のなかのどんな部分でしょうか?
もし、その怒りの感情の下に、守りたかった自分の心の中の弱い部分が隠れているとしたら、それはどんな部分でしょうか?

怒りを感じているとき、その怒りの感情の裏には別の感情が隠れています。その裏に隠れている感情が怒りの感情で蓋をされることにより、一時的に違う方向に、意識が向けられることになります。そのため、怒りを感じている本当の理由に私たち自身も気付かない、なんていうことがあります。

私たちが怒りを感じている時、その下にはどんな感情があったのか、ということに目を向けて見ると、、、、
例えば、理解してもらえてない感じ、がしたのかもしれません。
あるいは、大切にされていない感じ、がしていたのかもしれません。
もしかしたら、寂しさを感じたのかもしれません。
役に立っていない感じがしたのかもしれません。
居場所がない感じがしたのかもしれません。
何か劣等感を感じていたのかもしれません。
自分が無価値なように感じたのかもしれません。
罪悪感を感じたのかもしれません。
色々と例を書いてみましたが、基本的にそこにいるのは、弱さを抱えている自分、です。

怒りの下にある感情は、とても素直な感情、といえるものかもしれません。それは心の中にある弱さの部分を象徴するようなものであり、とてもデリケートなところ、ともいえるかしれません。ただ、そこをダイレクトに扱うとあまりにも心が痛いので、そこから自分の身を守るために、少しポイントをずらして、自分は間違っていない、相手が間違っている、といった正当化にも似た理由づけを行うことで、その素直な感情から怒りの感情に意識をスライドさせる、ということが(無意識的に)起こったりします。怒りの感情は、この心の動きの結果から出てくる、わりと心の表面的な部分です。

心が痛みやすい部分。そこには、過去にできた心の傷、のようなものがあって、怒りを感じている時には、その心の傷を守るために防衛的な反応から怒りがでてきていることがあります。自分ルールができているくらいに、守りたい部分ならば、そこにそういったものがあっても不思議ではないのかもしれません。 

もし、その心の傷が癒されたとしたら、そのルールは必要でしょうか?
自分の中にあるルールを見つめて、なんだかおかしいな、と思ったとしても、ルールが破られたときに、自分がその心の傷に直面するとしたら、ルールを手放すことは難しいかもしれません。ルールが破られないようにするのではなく、その心の傷の部分を見つめて、心の傷を手放すことができれば、ルールにこだわらなくていい自分を手に入れることができるかもしれません。

もし、今、自分の中にあるルールで、人間関係の中でそのルールがあるためにとても窮屈になっている部分がある、としたら、そのルールの下にある心の傷を手放すことが求められてくるかもしれません。

ルールを手放すこと、というのは、ある意味ではとても成熟さを求められる選択、かもしれません。ただ、それは自分と周囲の人たちとの人間関係をより良くすることができるもので、特にパートナーなど身近な人との関係性を、楽で風通しのよいものにしていくことができるものです。

 

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