自分の中に嫌いな部分がある時、できれば人にその部分を知られたくないために、その部分を隠そうとしたり、表にそれが出てこないように自分をコントロールすることはあるでしょうか?
自己嫌悪が強すぎて、ふとした時にそれが出てきた時にそれがあまりにも辛すぎるので、悩みを抱えているようなことはあるでしょうか?
自己嫌悪を覚えるようになったきっかけは人によって様々かもしれません。親からの影響で、色々とダメ出しをされたりしているうちに、自分の中に嫌いになる部分が出てくることもあれば、思春期に経験したことから、自分がこうありたいと思う姿と、実際の自分を比較した時に感じられるギャップから自己否定が生まれ、強い自己嫌悪を覚えるようになることもあるのかもしれません。
自己嫌悪が自分の心の中に強く根を張っているような場合、自己嫌悪を解消したいと思ってはいてもなかなか思うように解消できなかったり、自分を好きになろうとしても、なかなか難しい、、、、と感じられている方もおられるかもしれませんね。
自分を嫌うのではなく、自分のことをもっと好きにならないといけないな、と思ったことはあるでしょうか?
自分を好きになろうとしても、どうしても自己嫌悪が消えなくて、それで苦しい思いをしたことのある方もおられるかもしれません。
過去の私自身の話をすると、自分のことはもともとあんまり好きではなかったです。自分を嫌うから周囲からも嫌われる、なんて話を聞いたことがあり、自分が自分のことをどう扱おうが、自分を嫌う人は勝手に嫌うし、自分を好きな人は仲良くしてくれるだろうし、自分が自分を好きになろうが嫌いであろうが特に変わりはないんじゃないの? なんてことを思った記憶があります。人の好き嫌いは人それぞれで、自分は自分、オレを嫌いたい奴には好きにさせておけばいい、なんて考えていました。その考え方になんとなく疲れたので、今ではもうその考え方は手放しています。今の私は、自分のことはこれといった根拠もなく、なんとなく割と好きです。
人には多面性があり、自分で好きになれる一面もあれば、自分でもみたくないような醜い一面を抱えていると感じることもあるかもしれません。自分のどこをみても、嫌いな部分なんて一つもない、なんて言い切れるのなら素敵なことですが、自分が嫌いでたまらない、というところからそこを目指すのは、ものすごく長い道のりと感じるかもしれません。
自分の中の嫌いを一掃する、というより、自分の中の好き、を伸ばしていくことが良いと私は思っています。自分を好きとは言い切れなくても、自分の中の一部で好きだと思えたり、良い意味でこれは自分らしいと認めることができるような部分には、どんなものがあるでしょうか?
自分が好きかどうかは置いといて、自分がやりたいと思っていたり、楽しいと感じているものには、どんなものがあるでしょうか?
それをやっていたり、それに取り組もうとしている時の自分のことを、どんな風に思えるでしょうか?
いつもそうかどうかは置いといて、自分が居心地が良いと思える状態があるとしたら、それはどんな時で、どんな状況でしょうか?その時のことを想像してみて、その時の自分自身のことをどう感じるでしょうか?
その時の自分をちょっといいな、と思えるでしょうか? あるいは、好きだと思えるでしょうか?
自分のことでいっぱいいっぱいになっているとき、僕たちはネガティブな態度をとりやすくなり、そういう時に、自分自身のみたくないような一面がひょっこりと顔をのぞかせることもあるかもしれません。自己嫌悪を強く感じる時というのは、そういった時かもしれません。その嫌いな一面をみないようにしたり、封印しようとしたりしても、どこかでその一面は顔を出してきます。ただ、好きなことをしていたり、楽しいことをしていたり、居心地の良さを感じている時の自分というのは、それとはまた違った一面を持っていると思います。その時の自分の中に、好きだと思える部分はあるでしょうか?
好きなことをしている時間や、居心地が良いと思える状態をなるべくたくさん作り上げてください。そこで自分自身の好きな一面をできるだけたくさん感じてあげることが、自分の中の好き、を伸ばしていくことができる時です。
私は、人というものは素晴らしく創造的な存在で、ありのままの人の姿というのは、人それぞれ非常に個性的で、人と人とを比較し始めるとあちらこちらに違いがたくさん出てくるものだと思っています。そのありのままの姿というのは、世の中の常識や、あなたが生きてきた常識や倫理観を考慮してくれるようなものではなく、ただただ創造的で、ただただあなたそのもの、そのまんまです。コントロールできるものでもないです。
自分自身がこうありたいと望む姿であったり、自分が置かれた環境の中でこういうのが良いと望まれる姿であったり、自分自身がどういう存在かは置いといて、こうあった方が良いというところから導き出される自分自身のあるべき姿、ある意味では、最適解のようなものと、自分自身のありのままの姿が必ずしも一致するわけではないです。人によっては、大きく逸脱することもあるものなんじゃないかと、私は思っています。自己嫌悪を感じるときは、あなたが、自分のありのままの姿よりも、あるべき姿を優先している時です。
好きなことをしていて楽しい時や、居心地の良さを感じているときは、こうあるべき、という自己像やあるべき姿のようなものをあまり意識することなく、ただただ、あなたのありのままに、好きなようにやっていると思います。あなたがありのままの自分を許容しているとき、あなたはあなた自身のことを好きだと感じることができます。
ネガティブな感情を通して、自分がやるべきことと、今自分がやっていることがずれているということに気づけることもあります。誰かにそのことを指摘されて、嫌な気分にはなりつつも、今自分には修正が求められていると感じて、自分自身もそれをした方が良いと思えるときは、自己嫌悪はひとまず置いといて、そこに一生懸命に取り組むことが求められてくると思います。成長することでそこから抜け出すこともできると思います。ただ、指摘されてもどうしようもないことや、元々の自分に全く向いていないようなことに関して、ネガティブな感情を感じたり、ずっと自己嫌悪に陥っていても、前に進むことはできないです。
人というものは誰一人例外なく、びっくりするくらい創造的な存在、と私は感じています。当然、誰一人として同じではないのですが、生きていく中で、ある程度同じであることを求められるようなことがあります。これくらいが普通、という枠組みのようなものがあって、それを基準に物事が進められるようなところがあって、そこに合致しない部分が自分の中にあるとあなたは「ハズレ」の扱いを受け、そこにストレスが生まれます。他の人はみんなこうなっている。普通はこうだけど自分は違う。そこにどんな解釈をするのかは人それぞれですが、本来は違うところがあって当たり前です。違って当たり前なのですが「ハズレ」の扱いを受けるわけです。自分以外が「ハズレ」でも気にならないかもしれないですが、いざ自分が「ハズレ」になると落ち着かないですよね。となると、そこにどう対処するかが問われてくることになります。
対処方法で思いつくところをいくつか書き出すと、こんな感じでしょうか?
①そのままじゃダメ!なんとか頑張って普通になろうとする。私は普通!
②普通になろうと頑張ることも何もしないけど、そんな自分が嫌い。
③何も気づかなかったことにする。ハズレ? わしゃあ知らん。
④私は私で何がダメなの? むしろ私って素敵じゃない? ありのままの自分を受け入れない人や環境とはさよならして、自分にとって居心地の良い環境を選択する。もしくはそういう環境を作り出す。
⑤基本、私は私のままで、周りに無理には合わせないし、自己犠牲はしない。あからさますぎると困ることも一部あるので、そこは周りを見つつある程度基準に寄り添いながら、無理のない範囲で立ち回る。
①と②は自己嫌悪がベースになる生き方な気がします。自分が嫌いでお困りの方は、①か②を選択するケースが多いかもしれません。マイペースな人は、③を選びやすそうな気がします。ハズレということにすら気づいてないこともあるかも。私のオススメは④。次点で⑤です。ありのままの自分が好きで、好きで楽しいことをやっていて、生き生きしようと思ったら、④がベースになるような気がします。④を貫くと、周りに相性の良い人たちが集まり、「ハズレ」扱いする人や合わない環境から自然と距離を置くことができます。ここに書いた①〜⑤以外にも対処は無数にあるように思います。
自分のありのままを軸にして、そこから生き方を構築しようとする場合、重要なのはあなたがどうしたいのかと、あなたが何が好きで、どういう状態が居心地が良いか、ということと、じゃあ、やりたいことや居心地の良い状態を実現するためには、どうしていくのが良いのか、というのが鍵になります。
ありのままから生き方を構築するのではなく、自分はこうあるべきだというイメージをあなたが強く持って、そこから生き方を構築しようとする場合、あなたのありのままの姿が、あなたの思い描くあるべき姿から逸脱している度合いだけ、あなたが自己嫌悪を感じる種はあちこちから芽吹いてきて、そこへの対処にあなたは追われ、あなたの心の中に苦しみが生まれます。
だから、自分が嫌いでお困りの方に、私は思い出して欲しいと思っています。
あなたは何が好きですか?
どんなことをしている時に、楽しいと感じるでしょうか?
どんな時に、居心地の良さを感じますか?
あなたのありのままの姿って、どんな感じでしょうか?
あなた自身は本来どんな人間なんだと、あなたは感じているでしょうか?
自己嫌悪を感じている時のことについて、自己嫌悪を解消するというよりも、自己嫌悪そのものに関しての私なりの解釈を書いてみました。自分を少しくらい嫌いでも全然構わないと私は思っています。
「自分の中の、この部分がどうしても好きになれないんだよね」っていう人がいたら、ウンウン、そういうところがあっても仕方ないですよねって思います。人は多面性があり、心の中にはものすごく広がりがあり、その中でちょっと好きになれない部分があるとしても、それで何か困っている訳でもないのなら、そんなに問題視しなくていいと私は思っています。それよりも、自分が嫌いでたまらないのなら、その大元である、自分のありのままの姿をどう扱っているかを問いかけてみたくて、記事を書きました。ここに書いたことで、何かお役に立てられそうなことがあるのなら、幸いです。