何かに怒りを感じているときに、
それをどこかにぶつけたり、忍耐したりする以外に、
その怒りを創造的なことや、生産的なことに使う、
という選択があります。
自分の怒りの中にある、今の状態に満足していないような、
変化を望んでいるような心の部分に注目して、
怒りを変化を自ら起す原動力に使う、という選択です。
怒りを感じているときの自分の中にあるエネルギーと、
意欲にあふれて何かをしようとしているときの情熱的な
エネルギーはとても似ています。
完全に同じではないかもしれませんが、
「なんだあいつは!」というときと、
「よし、やったるぞ!」というときとで、
自分が内側で感じている強いパワーは、なんだか似ているとは思いませんか?
怒りを情熱や意欲にシフトする、という選択です。
ただ、このためには、自分がどうしたいのか、という部分が求められてきます。
自分が本来やりたいこと、というのがあったとしても、
その目的に沿って力を使いたい、という想いがぶれていると、
力をシフトしようとしても、どうしても、怒りに身を任せたい、
という衝動に流されてしまいます。
怒りを感じているとき、それに身を任せるのではなく、
自分の本来の目的の部分を思い起こす、ということができれば、
そのエネルギーを、情熱や意欲にシフトしよう、
という選択ができるようになります。
怒りを感じている場面によっては、その怒りを表現することが、
その目的に沿っているケースもあったりします。
その場合も、ただ、怒るのではなく、目的に沿った形で表現する、
ということになり、もちろん、その意識でやった方が物事はうまくいきます。