子供を見守っていたい、とは思っていても、子供が心配であれこれ口を出してしまう、ということはあるでしょうか?信頼もしてあげた方がいいのはわかっているのだけれども、親のエゴ、のような部分というか、親からすると、子供のできていない部分や幼い部分や弱い部分を見て、そこを守ってあげたかったり、育ててあげたかったり、助けてあげたかったりするような部分があって、愛情と心配がなにか一緒になってしまっているような部分もあるものかもしれません。
親も人間なので、子供がしたことで、何か自分に不利益や不都合が生まれる部分があると、そこが心配になって、子供にあれやこれや言ってしまったり、思ってしまう、というところもあるかもしれません。子供は未成熟な部分があるので、親の都合もそこまで考えていられないのも仕方ない、ということを頭ではわかっていても、どうしても感情が出てきて、子供に親の都合を押し付けてしまう、ということもあるかもしれません。
子供に対して守ってあげたいと思うということは、ちょっと観点を変えると、もし、自分が守らなかったら、この子はどうなると思っているのかというと、そこには怖れのようなものが眠っています。
この怖れが心配を作り出していきます。怖れがあると子供の弱い部分や未成熟な部分をクローズアップしてみているので、子供をそういう風に扱うようになります。親が子供に対して、「あなたは弱くて未成熟だ」、という扱いをするので、これは子供からすると面白くないわけです。
ここで親が子供の価値のある部分や、可能性や才能のある部分をクローズアップしてみてあげると、自然と子供をそういう風に扱うので、信頼している部分が子供に伝わります。親が子供に対して、「あなたはできる」、という扱いをするので、これは子供にとってとても気持ちがいいです。
愛する子供の弱い部分を知っているからこそ心配だけど、価値も知っているから信頼もしたい、というジレンマが生まれることもあると思います。その中で、信頼を送る、ということは、子供の未成熟な部分を、臭いものに蓋をするように見ないようにする、ということではなく、未成熟な部分も、価値があって可能性がある部分も両方見てあげて、そのうえで信頼することを心の中で選択する、という感じです。この信頼が、子供を見守る、ということのベースになっていきます。
ここで課題になってくるのは、親の心の中にある、執着のような部分です。
親は子供のダメな部分を見ているとき、自分の中にあるダメな部分を重ねてみています。自分ができていなくて心の中で嫌っていたり、責めているような部分を、子供の中に同じようにあるのを見てしまうと、とても攻撃的になりやすいです。
ここで大切なのは、そこを攻撃することではなくて、子供の成長を見てあげることです。子供のダメな部分だけじゃなく、価値のある部分や可能性のある部分を見て、信頼を送ってあげる、という話を少し上の方で書きましたが、子供の成長を見守る、というときにはそういったことが求められてきます。ただ、親の心の中に、自分のダメな部分を嫌っていたり、責めているような部分に強く執着するような部分があると、それがすごく難しくなります。
例えば、親が子供のころ勉強しなくて成績が悪かったのに、子供に対して、勉強しろ!、と強く説教する、なんていうのがあったり、、、、
自分が親に対して心配をかけまくっていたのに、子供が心配をかけるようなことをすると、むむむ、っとなったり、、、はい、これ私ですね。
ある意味では、子供は親にとって、自分の良い部分や悪い部分を映し出して見せてくれる鏡となるようなところがあるので、子供の中に見える課題は、親にとっても課題、となってきたりします。
子供の価値や可能性のある部分を見ると、親にとって、何か、自分が誇らしく思えてきたりしますし、子供の不出来な部分や、未成熟な部分を見ると、親にとって、自分がダメなように思えます。これを子供のせいにするのではなく、自分にとっての課題と受け取って、子供と一緒に成長する、ということが大切なのかなあ、と思っています。
だから、子供を信頼する、ということは、親にとって、自分自身を信頼する、ということにもつながってきます。
例えば、子供がなにかやらかすと、親は周りからどう見られるか、ということを考えると、子供がやることは、親である自分にも影響してくることは想像できると思います。
このとき、心配なのは、子供のことでしょうか?
それとも、自分の保身でしょうか?
そうなったときに、自分自身を信頼できるでしょうか?
ここが不安定な分だけ、子供を見守る、というよりも、そういう問題が起きないように子供をコントロールしたくなります。
コントロールに失敗して、子供が何かやらかすと、子供のことより、自分の保身で頭がいっぱいになってしまうこともあるかもしれません。親も人間ですからね。それでも、そこで子供に対する愛を選択できた分だけ、子供と一緒に親も成長できるものなのだと思っています。
色々書きましたが、親も人間ですから、何事にも完璧というのは無理ですよね。子供と一緒に、自分の未成熟な部分も成長させていきたい、なんて思っています。