その人が抱えている問題の下には、その人なりの才能がある、というものの見方があります。これは、その人に問題があるから大変なことになるというよりも、その人に才能があるから、苦労だったり試練のようなものが訪れる、といった物事の捉え方です。
何か問題があって、その真っ只中にいるときに、そんな風に考える人はあまりいないかもしれません。ただ、問題を乗り越えて成長した後に、その才能の部分を使って人に与える、といったことを経験した方は、それなりにいらっしゃるのではないかな、と思います。例えば、傷ついた経験を通して、人に優しく接してあげることができるようになったり、辛い想いをした分だけ、他の誰かの痛みに共感できたり、地獄を見るかのような体験をしてそこを乗り越えたことで、過去の自分に似た境遇の人に対して、大丈夫って本心から言うことができたり、など、いろんなケースがあるではないかな、なんて思っています。
ただ、その人が問題を乗り越えたからこそ、そういうことができるようになったんだ、という考え方もできるかもしれませんね。
ここでちょっと見方を変えて、それは、その人だからこそ起こった問題で、その人のもともとあった才能の部分が、問題を通して形になってあらわれてきた、のだとしたら、、、、
人生の中で起きる様々な問題の意味が変わってきます。
今、自分が抱えている問題の中にも、同じように、才能を発揮していくことが求められているかもしれない、と考えたら、何か気づけることはあるでしょうか?
問題に押しつぶされそうに感じているときほど、自分の内側にある力を感じてみること。自分が思っているよりも、はるかに強い意思や情熱やエネルギーが自分の内側には眠っています。もし、今抱えている問題について、自分には無理だ、という感覚があるとしたら、それはもしかしたら、自分自身に対する評価が低すぎるのかもしれません。
どんな状況であれ、そこに問題があって自分がそれに直面しているとしたら、そこで自分が発揮することが求められている才能の部分があります。自分自身の100%の力をそこで与えていくこと。まだ自分でも気づいていない未開拓の才能が芽を出すことがあるとしたら、そんなときなのかもしれません。
例えば、心の痛みを感じるような体験をしたときは、ふさぎこんでしまったり、ひきこもってしまいたくなるものかもしれません。ただ、ひどい気分の時に、自分自身の痛みの部分に浸ってしまうのではなく、周囲に何か与えていこうとすることで、そこから抜け出していくという選択肢があります。それもまた、問題の中にある才能の部分が発揮される時です。
これをやろうとしたとき、そんなことは自分には難しい、とか、やりたくない、といった抵抗感は出てきやすいものかもしれません。ただ、その痛みを感じている部分をよく見てみると、そこには、その痛みを感じれることから見えてくる、その人なりの才能の部分が隠れていることがわかります。
自分が自覚している以上に、自分自身には問題を解決する能力があり、周囲によりよい影響を与えていく力があるものなのですが、まるで、それが充分に発揮できないときに限って問題が起こって、そのときに感じられる痛みを通して、それを自分に知らせようとしてかのように物事が進んでいくことがあります。
才能を受け取っていく、ということは、自分が自覚している以上に抵抗が生まれることが多いかもしれません。だから、痛みを感じているときに、才能を使おうとか考えるだけで、嫌な気分になったりします。
それは自分の仕事じゃない、とか、
そんなことできなくていい、とか、
そこまでやりたくない、という想いが出てきます。
ただ、そこを抜けて才能を使って周囲に与えていこうとしたときに、問題を乗り越えていくことができます。
人生の中で、何か大きな問題を抱えている部分に対しても、このものの見方は当てはめることができます。自分の中で何か諦めてしまっているような部分があるとしたら、もし、自分の中にそこを乗り越えていく才能があるとしたら、どんな部分だろう、って考えてみてください。そこでは、自分が抱えている問題に対して、ネガティブではなく、チャンスと感じれるハートがあることに気付けるかもしれません。
心の痛みを感じているときには、そこを抜けていくために、才能を使って周囲に与えていく、ということにチャレンジしてみることも、問題を乗り越えるための有効な選択肢の一つです。それによって、自分自身の枠を広げていく、という感覚を感じることもできます。