1日単位で考えると、1日=24時間ですが、
1日が25時間あったらいいのに、と考えたことはあるでしょうか?
私はあります。25時間どころか、それでも足りないので、
それ以上になればいいのに、って思っていました。
1日=24時間は、ただ単純に日という単位を時という単位に変換しているだけなので、
ここを変えることはあまり意味がないのですが、
私は時間が足りないって思っているので、
そんな原則を捻じ曲げたくなったりしました。
時間が足りないと感じたなら、時間の使い方を変えるときです。
1日で考えると、その24時間の中で、
やらないといけないと思っていること+やりたいと思っていること+休息、
を全部足した時に、24時間でおさまるなら、1日=24時間に対して、自分がOKを出せます。
24時間で足りない、ということは、おさまっていないわけです。
ここで、やらないといけないと思っていることを減らすなり、
やりたいと思っていることを選別できるなり、休息の時間を取りすぎていないか見直してみたり、
ということをする代わりに、僕たちは、24時間という原則の方が、変わればいいのに、
というファンタジーに逃げるわけです・・・って私のことですが。
同じように感じたことがある人はいらっしゃるでしょうか?
ただ、いざ、自分の時間の使い方を見直そうとしてみると、
やらないといけないと思っていることを減らせない、
やりたいと思っていることを選別せざるを得ないが、そう考えると時間が足りないとしか思えない、
休息時間は今でも減らしているのに、これ以上減らすのは無茶としか思えない、
やっぱり24時間じゃ足りない、ってなった人もいるかもしれませんが、
もし、そういう人がいたとしたら、私はこう思います。
「そうそう、そうなんだよ。そっちは変えれないんだよね~。」
ただ、ここに条件がつきます。「今の自分を変えない限りは。」
時間不足を感じているときは、自分の中で、何かを手放すことが求められています。
その時間不足の現実を作り上げている、自分の思考が必ずあります。
それに気づいて手放すことができると、時間不足の状況が変容します。
少なくとも、時間は足りないもの、という思考があります。
そう考えれば考えるほど、時間が足りない現実がやってきます。私はそうでした。
自分に時間は必要なだけ与えられており、なお、少しの余裕がある、
ということを信頼して、その考えを強めれば強めるほど、
時間が十分に足りる、という現実がやってきます。
ただ、その前に一番大切なのは、時間不足を作り上げている自分の思考を見つけることです。
時間不足を作り上げている自分の思考はとても強力です。
それを手放すことなしに、「自分に時間は必要なだけ与えられている」ということを
無理やり思おうとしても、やっぱり時間が足りない、という現実がおとずれます。
やらなければならないことを減らす、と考えたときに、減らせない、と考えた理由は何でしょうか?
仕事にかかっている時間を減らすのは無理、今の現状では、と思う人がいるかもしれません。
だったとしたら、その思考はとても強力です。
現実無理、というより、自分が何より無理だ、ということを強く思考している、のだとしたら、
それはなぜでしょうか?
自分の本来やりたいことをストップしているこれらの思考は、とても強力です。
それと向かい合うのは、人によっては、とても辛さを感じると思います。
ただ、それを環境のせいにするのではなく、自分がその現実を作り上げている、ということに
向かい合わない限り、状況は変容しないです。
やりたいことがありすぎて、選別なんでできない、減らせない、と思う人がいるかもしれません。
それも同じです。それを作り上げているのは、環境のせい、というより、自分の思考です。
なぜそう思うのでしょうか?
掘り下げていくのは辛い作業ですが、そこを向き合わない限り、状況は変容しないです。
時間感覚は、人によって異なります。1時間の長さは全人類共通かもしれませんが、
そこで出来ること、感じることには大きな差があります。
時間とは何か?
時間に何を感じるか?
時間がどうなったらよいと思っているか?
それに対して自分がしている思考が、自分の体験する時間にまつわる現実を作り出していきます。