周りから言われることが気になって仕方ない、
ということことを体験したことはあるでしょうか?
例えば、自分が自信のないような部分に関しては、
周りから見て、どう見えるのか気になるかもしれません。
周りの誰かが、その部分に関して言った、
ちょっとした一言、これは聞き逃せないですよね?
自己嫌悪している部分に関してもそうです。
地雷、というのは人によって違うと思いますが、
自己嫌悪に触れるような話題、というのは、
自分にとって、できれば触られたくない話題、でもあると同時に、
もし、誰かがそれについて何かを言ったとしたら、
それは聞き逃せない一言、になってくると思います。
罪悪感を感じているような部分に関しても、
聞き逃せない一言、というのはでてきがちです。
自分でも良くないかも・・・ってちょっと感じているようなことについて、
周りから、ダメ出しをされたとしたら・・・
物によっては、忘れられない一言、になっちゃうかもしれません。
その人のことを許せない、と思うケースもあると思います。
ただ、周囲に悪気があるか、ないかに関わらず、
自分が言われていることを気にするかどうかは、
自分の心の中で、どんな部分を意識しているのか、
ということが関係してきます。
周りから言われることを気にしすぎている部分を手放したい、
という人はいるでしょうか?
別の言い方をすると、もうちょっと鈍感になってみたい、
なんて思う人はいるでしょうか?
もし、そう思うならば、周りに意識を向ける、というより、
自分がどんなことを言われることを気にしているか、
という部分に目を向けてみてください。
触れられたくない部分や、自己否定しているような部分です。
その中で、今まで体験した中でも、自分でもここに関して言われたことで、
ちょっと心の中で引きずってしまったような部分について、
自分が否定している、自分が嫌っている、自分が低い評価をしてしまっている、
ということを気付いてください。
そして、この否定の部分を手放す、
ということを心の中で選択してみてください。
「ま、いいか」
って心の中でつぶやいてみてください。
自分を否定する部分が手放された度合いだけ、
周囲からどんなことを言われているかが気にならなくなりますし、
また、不思議なことに、周囲からそのことについてあれこれ言われる度合いも、
自分の意識と同調して少なくなっていきます。
※自分を否定することで、自分を駆り立てる方法もあるかもしれませんので、
そのやり方が好きな人には、この「ま、いいか」って思うやり方は
あっていないかもしれません。
ただ、その場合は、どうしても、周りの雑音が気になります。
自分で自分を否定しているので、それが周りに投影されて、
周りも自分を否定しているように感じられるからです。
その場合は、自己否定がなくなるまで、成長しきる必要があり、
それが達成されるまでは、自己否定の声が聞こえ続ける試練の時、
っていう風になります。