
怒らないことで自己犠牲的になっている部分があるのなら「怒ってもいいし、怒らなくてもいい」という選択肢があって、状況に応じて選択できる方が良いです。大切なのは、怒ることを自分に許可する、ということ。賢く怒りを表現できると、周囲から共感を集められたり同調を得られることもありますが、怒りが自分の中で禁止されていると、そういったことも難しくなります。
【目次】
・怒らない人扱い
・怒れない心理
・怒りを表現するということ
・シャドウ
・怒ることを自分に許可する
・まとめと補足
怒らない人扱い

怒らない人扱いをされたようなことはあるでしょうか?
怒らない人というと、良いニュアンスと、あまり良くないニュアンスがあるかもしれませんが、どちらかというとあまり良くないニュアンス、のケースです。
例えば、言うべきことをあまり言わない人のようなイメージを持たれたり、ちゃかしたり小馬鹿にしても良い人のように扱われたり、鈍感で何をされても平気な人とみなされ「この人は雑に扱って良い」と思われている、といった感じのものです。
ただ、こちらから何か言うにしてもそれをめんどくさいと感じたり、上手く言えなかったりすることもあるかもしれません。面倒を起こしたくないという想いを持たれる方もおられると思います。立場や状況的に、怒りたくても怒れない、といったこともあるものかもしれません。
怒らない人扱いをしてくる人の振る舞いに問題がある、という見方はできるかもしれません。ただ、周囲の人を見渡してみても、どうやら自分ばかりがそういう扱いを受けることが多いように感じるのなら、ちょっと対処法を考えてみたくなるものかもしれません。
怒れない心理

怒ることが自体が大嫌いだったり、怒ることを何か間違っていることのように思っていると、「怒れるけど怒らない」のではなく「よっぽどのことがないと怒れない」になります。ある意味では「よっぽどのことがないと自分は絶対に怒らない」というルールを自分自身に強いているような状態、といえるかもしれません。
怒りというのは感情の蓋で、何かネガティブなことを感じた時に、自分を守るために怒りがでてくる、という感じの心の状態ですが、怒りを表現することで相手が間違いに気づけたり、自分が守りたいものを守れる、ということにつながったりすることもあります。
ただ、「よっぽどのことがないと絶対に怒らない」というルールを自分自身に強いているような状態というのは、少しバランスが良くない状態、かもしれません。怒れない、というのは、怒りを感じていない、というわけではなく、怒りを表に出していないだけで、心のなかでは、一旦、怒りを溜める感じになります。もちろん状況によっては、怒らない、という選択が有効なことは多いかもしれません。
怒りを外に出さないように自分自身に強いていると、感情が消化されにくくなったり、怒るということに対しての否定が強すぎるあまり、怒りを投影するような人(例えば、怒りっぽい人や、良く知ってる怒りっぽい人となんとなく雰囲気が似ている人、など)がすごく苦手になったりすることもあります。そういった人と絡まざるをえない状況がくると、辛さを感じることもあるかもしれません。
ただ、人生の中では往々にしてあることかもしれませんが、心理的な課題を抱えている時ほど、なぜか、そんな状況が自分のもとに招き寄せられる、といったことが、ときとしておこります。まるで、その部分と向き合うことが自分に求められている、かのように。
怒りを表現するということ

怒りもまた、大切な感情、といえるものかもしれませんし、怒りを表現することを自分に許可してあげるということも、ときとして大切なことかもしれません。
「怒ることは良くないことじゃないだろうか?」
という疑問はあるかもしれません。これはその問いに対しての一つの考え方ですが、怒ることは良くないことというより、相手に何を伝えるのかということと、どんな風に自分が感じていることを伝えるのか、ということが大切なのではないかと思います。
自己主張することは大切なことで、怒らないことで自分自身を後回しにしたり、自己犠牲的になっている部分があるのなら、
「常に怒らない」のが正しいのではなく、
「ちょっとしたことでも怒らずにはいられない」という情緒不安定なのでもなく、
「怒ってもいいし、怒らなくてもいい」という選択肢が自分の内側にあって、状況に応じてバランスをとれるマインドである方がベターです。
賢く怒りを表現できると、周囲から共感を集められたり、同調を得られることもあります。簡潔に自己主張したり、的確に指摘を口にすることで、「それはそうだよね」と周囲や相手に自然と話が通ることもあります。ただ、そういったことは、怒りのエネルギーを自分の中で封印していると、なかなか難易度が高いことになるかもしれません。
シャドウ

少し心理学を語らせてもらうなら、シャドウ、が自分の前に出てくるということがあるかもしれません。シャドウ、というのは自分自身の心理の無意識的な側面で、「私にはこういう部分はない!」と意識的には思えるような部分のことです。シャドウが自分の前に出てくる、というのは、怒らない人の話でいくと、例えば、自分自身に怒るということを禁止している人のことを想像してもらうのなら、シャドウが自分の前に出てくるというのは、「怒ってる人が目の前に現れる」ということです。
怒るということを禁止をしている人の前に、怒っている人が現れるわけですから、見ていて気分が悪くなるか、あるいは、心のシャッターを完全に下ろして無表情になる、みたいな感じになるかもしれません。
怒るということを禁止するということは、怒るということに対する否定や批判が自分の内側にあるわけですから、シャドウを見せてくれる人に対して、心のなかで否定したくなったり、批判したくなったりするマインドが出てきます。妙な話ですが、その人に対してある意味では「怒りたく」なるような感じです。イライラしている人を見ると、なんとなく感情が引っ張られて、こっちもイライラしてくる、みたいな感情の共鳴がおこることがありますが、そうすると、自分の中で禁止しているルールが揺らぎだしますので、その人のことがとても苦手になるかもしれません。
ただ、シャドウが現れるときというのは、もし可能であれば、その部分を心のなかで受け入れて統合する、ということができた方がベターなものです。シャドウというのはものすごく嫌悪感を感じたり、抵抗感を感じやすいものかもしれませんが、自分の心理的な課題を見せてくれるような側面があります。
怒ることを自分に許可する

怒ることを自分に許可する、ということ。もちろん、何の配慮もなくただ怒りをぶつける、というのが良いことだと言っているわけではないのですが、怒りを感じているのならそれを伝えるということも大切で、もし、あなたのことを大切に扱わない人がいるのに、言うべきことを言う事にためらいがあって、怒りを感じていることを口にできないでいるのなら、自分の中で怒りを禁止している部分を手放してあげること。ただ、どうしても怒るということに抵抗感や、強い否定の気持ちが出てくる、ということはあると思います。その場合、もしかしたら自分の中に、許せない誰か、がいるのかもしれません。
これは例えの話ですが、親が怒りっぽい人で、その親の中の怒りっぽい部分が、自分の中で反面教師のようになって、「私はあんな風には絶対なりたくない」って思っている人がいるとします。この人にとって、怒ることを自分に許可する、ということは非常にハードルが高い、というのはなんとなく想像できるでしょうか?
自分が怒られた側で辛さを感じてきた度合いだけ、怒りっぽい人のことを許せない、となると、今度は自分が怒る立場になったときに、怒れない、ということになります。あるいは、よっぽどのことがあったときにだけ、限界がきて爆発するように怒る、という感じになるかもしれません。ここでは、怒ることを自分に許可する、というより、怒っている人を責めている自分、に関して掘り下げていくということの方が大切かもしれません。
心のなかに許せない誰か、がいるとき、それが心理的なブロックとなって、怒るということに抵抗感があるのなら、そのブロックを手放してあげること。ただ、それは無理やりにはやらない方が良いことかもしれません。手放すといっても、その人のしでかした行為をOKにする、というのは少し違うかもしれませんし、その人の中にあるよくない部分は、正されるべき、なのかもしれません。そのあたりについて掘り下げた記事がありますので、もしよろしければ、こちらを参考にしてみてください。
まとめと補足

怒らない人扱いされるときの話について掘り下げて書きました。大切なのは、もし、怒るということを禁止をしているような部分が自分の内側にあるのなら、その部分を手放してあげるということと、もし、許せない誰かがいることが、その手放す上での心理的なブロックになっているのなら、その心理的なブロックがある部分をケアしてあげるということ。
ただ、怒ることを自分に許可するといっても、実際に怒りをそのまま出すと雰囲気が悪くなったり、相手を不快にさせてしまう結果を招くのではないか? といった心配事はあるかもしれません。怒りを感じたときは、その怒りの処理の仕方の部分が大切になってきますが、そのあたりを掘り下げて書いた記事がありますので、参考にしてもらえればと思います。
あと、少し話は変わるのですが、自分のことを価値が低いと思っていたり、自己否定が強かったりすると、決して良いことではないのですが、人から雑な扱いを受けてしまう、ということがあったりします。そこで雑な扱いの延長線上で、怒らない人扱いされる、というパターンはあるかもしれません。その場合、こちらの記事を参考にしてもらうのが良いかもしれません。