以下が、心鈴泉ブログのおすすめ記事の一覧です。
カウンセリングの中で良く出てくる内容や、普段の生活の中で出てくる心の動きについて、 心理学の話などを交えながら書いています。
それぞれ、タイトルに書いてある内容に関して掘り下げて書いてあり、一歩突っ込んで取り組むためのエクササイズなども盛り込んであります。
イライラしている人との接し方としては、心理的に距離をとる、相手の話に耳を傾けながらも余計な一言はスルーする、相手が自分に助けを求めてきている部分を見る、というあたりが大切、ということを書いたものです。
雑な扱いをされたとき相手の心理としてはこちらの価値を低く見ている可能性があります。その場合の対処法を、恋愛関係と友人関係の2パターンにわけて書きました。自分の心理を深掘りしたときにチェックしておいた方が良いポイントと、その部分をケアする方法についても深掘りして書いています。
馬鹿にされるという体験が多い場合、心の中で誰かをバカにしている部分がないかチェックしてみたほうが良いかもしれません。自分が周囲に発信していることが、自分に返ってくる、ということがあるためです。
自信がないとき、人を試したくなることもあるかもしれません。ただ、人を試す行為は人を遠ざけるようなパターンになる結果を生み出すこともあります。そうならないためには、コミュニケーションを重ねて絆を深めていき、その関係性から愛されている感覚を受け取っていくことで自己愛を育てていくこと。
頑張りたいのに体調を崩す、とか、集中したいのに眠い、など、体が求めることとやりたいことがマッチしない場合、無意識に心の中で踏んでいるブレーキがあります。大切なのはそのブレーキの存在に気づくこと。
人から責められた時、そこでイライラすることもあれば、傷つけられたと感じることもあるかもしれません。ただ、罪悪感があると、人から責められやすくなったり、相手にそのつもりはなくても責められたと感じやすくなるもの。そんな時におすすめの心をケアする方法について、深掘りして書いています。
好きな人を忘れるときに、ひっかかってくる様々な感情の部分を上手く昇華していくことで、好きな人のことを心の中で整理していくことができます。そのためにカギになってくる、執着を手放す、という部分と、自分を変える、という部分を書いた記事です。
屈辱感を感じたとき、それを感じさせた相手が悪いと言いたくなるかもしれません。ただ、屈辱感を感じたということは自分がその扱いをされるような存在であることに少しは同意して、自分の尊厳に自分で傷をつけたということを意味します。そうでなければ屈辱感を感じないです。
一人で頑張るということには限度があり、時に何かを犠牲にする必要が出てくることもありますが、何かと一人でやってしまいがちな人に向けて、執着を手放す、信頼する、ゆだねる、という3つのポイントを書いた記事です。
評価されたくないと思っている時、自分が周りのことをどんな風に評価しているか、チェックして見てください。基本的に心の中で自分がしている思考には、ブーメランのように現実として自分に返ってくる、という性質があります。例えば心の中で誰かをバカにしたら、思いもしない角度から、別の誰かからバカにされたような気になったり、誰かにバカにされるような可能性が気になって、そのことに怖れを強く感じたり、といったことがあったりすることもあります。
裏切りを体験したことで、多くのものを失ってしまったように感じられるような時のことを書いた記事です。試練とも呼べるような辛い体験の中には、自分自身の器をぐっと大きくするヒントが眠っています。
ちょっと厄介な性質を持つ、特別な存在になりたい、という意識ですが、これが強すぎると、状況によっては、そのことで辛さを感じる方もおられると思います。その気持ちの取り扱い方、というところを少し掘り下げて書いた記事です。
人から嫌われているのが辛いとき、これ以上嫌われないように頑張ろうとしすぎると余計にストレスを感じてしまうことがあります。嫌われたくないということへの執着を手放せた方が、心を軽くすることができます。
利用されたと感じるようなとき、自分をないがしろにしている部分があるのなら、自分を大切にするということを優先してあげること。自分よりも相手や周囲のことを優先しすぎると、本心ではあまりやりたくない、犠牲、になることがあります。
昔あった嫌なことを思い出してしまうとき、重要なのはその過去の出来事そのものではなく、それを見たときに自分が感じる感情の部分です。出来事をなかったことにはできなくとも、その受け止め方は変えていくことができます。
依存的な人に対して厳しすぎる、という人にとって、そこを変えたいという気持ちが出た時、それは自分自身を成長させるチャンス。自分の中にある依存的な部分をケアして受け入れることができたときに、より成長した形で依存的な人たちに接することができます。